Second Legend 番外編
世界が変わってしまった 後編

 「石造りの家?」
「うん。真っ白い石を積み上げてつくるんだ。船の上から見たあの景色は壮観さ。いつか行ってみるといい。えーっと海は……見たことないよな、この村にいたんじゃ」
「見たことないわ。しょっぱいとか、青いとかそういうことは聞いたことあるけど。でもどうして青いの?水なんでしょ?色がついている水なの?」
「違う違う」
「笑わないでよ、しょうがないじゃない!」
 翌日、少し早めに出向いてみたのだが、ファーマスはやはり昨日と同じ所に座っていた。鳥は周りにいなかったが、ラナケアに気付くと笑顔で手を振ってくれた。商売と思って無理に作っている笑顔かもしれない。それでも嬉しかった。
 他所の話を聞こうとしたら、逆に何処がいいと聞き返され、たいした地名も知らないラナケアはネアローギ大陸の街、と答えた。ただたんに、彼はネアローギの出身だと言っていたので話しやすいだろうということで選んだだけだ。そうして彼が話してくれたのは、世界一の大都市と名高い、パラグロフのことだった。街並みのことを話してくれていたのだが、ラナケアはもちろん海を見たことがなかった。しょっぱいだとか青いだとかは人づてに聞いた話だ。なんでも弟のケシーは、リシアの杖に宿っている大きな青い怪鳥に乗って見たことがあるらしいのだが、ラナケアはといえば高いところが嫌で誘われても乗っていない。
 森と山に囲まれた、ラッカンスの村からは全く海は見えなかった。
「なんで青いかは俺もよく知らないけど、青く見えるだけなんだ。実際すくったらちゃんと透き通ってたし」
「変なの」
「まあ、それで空の青と海の青って言うのは全然違う。だから、水平線と空の境ははっきりと見えるし、それにパラグロフの白い街並みが映えて、本当に綺麗なんだよ。三つの色がそれぞれの境にくっきりした線を持っているのに調和しているんだ」
「ファーマスはパラグロフの出身なの?ネアローギ大陸だって言ってたけど」
「いや、俺はもっと西のほうの生まれだ。もう、ないけど」
「え?」
「モンスターにやられてしまったんだ」
 ラナケアはなんとも返せない。きっとその中には彼の家族も入っていたのだろう。そう思うと何も言えなかった。
 ファーマスはそんな彼女を見ると困ったような顔をしてそんな顔をするな、といった。
「だって」
 子供のように下唇を突き出す。何もいえない自分が腹立たしい。こういう時どうにも幸せに育った自分がいけないような気がしてきて、しかしそれはまた全然違う話なのだと、ラナケアは頭(かぶり)を振る。
「大丈夫、もうなんとも思ってないから。ラナケアが気にすることじゃない」
「……うん」
 やはり釈然としないままラナケアはうなずく。腹に溜め込んだものを吐き出すようなため息をひとつした。

 ぽつりと頬に何かが当たった。ラナケアはそれを人差し指でこすると、空を見た。灰色の雲が早く動いている。またぽつりぽつりと間隔が狭くなり、すぐに土砂降りに変わった。
「うひゃー」
 とりあえず二人で手近な木の下に入るが、それでもしたたってくる水滴が服にしみたりして、情けない気分になってくる。
 雨の匂いがたちこめる。草と土が水に溶けた匂い。
「すごい雨だな」
「うん、久しぶりよ」
 こんな雨が好きだった。昔から弟と飛び出していこうとしては母に止められていた。
「こういう雨って好きなの」
 ラナケアは木の下から一歩踏み出そうとするが、風邪をひくとと止められる。
「母さんみたいなこと言うのね」
「事実だろ」
 ファーマスの声にふんと拗ねて見せて笑った。なぜだか楽しかった。友達といる時とはまた少し違う楽しさだ。
 雨の勢いは衰えず、地を鞭打つように跳ねていく。広がる水溜りに跳ね、さらに細かな飛沫をあげる。地で水の珠がおどる。
「動くか?ここなら俺のとってる宿の方が近いと思うけど」
 宿とはいっても、たいしたものでなく、他人の家にお邪魔するような感じだ。ラナケアはしばし考え空を見上げるといった。
「大丈夫、通り雨だわ」
 雨の勢いと、雲の流れ。どうやら重たい雲は空にかかっていないようなので、これは通り雨のはずだ。その証拠にどこか明るい。雲が厚くないことを示している。こういう雨は降り出すのも一瞬ならば、止むのも一瞬だ。
 果たして暗雲の隙間から光が差し込みはじめ、雨は途切れ途切れになり完全に上がってしまった。まだ雲が残っているから虹が拝めないのは残念だとラナケアは思った。雨上がりの晴れた空に架かる七色の橋は、それはもう美しいのに。
 不満な気持ちが表情に出たのか、ファーマスが首をかしげた。
「どうしたんだ?雨が止んで悲しいとか?」
「そんなことじゃないわよ。ただ、虹は見られそうにないから」
「ああ」
 一つうなずくとファーマスは少しの間空を見上げて指をさした。
「あそこ。見えてるよ」
「え?あ!」
 ファーマスの指差した先には確かに虹があった。なぜあるのかわからないが、それでもあった。
「すごいわ、ファーマス!こんなに早く虹が見つけられる人、初めて見た!」
 ラナケアは純粋に驚いて、顔を明るくし、ファーマスに向かってまくし立てる。
「え……」
 ファーマスは一瞬ラナケア以上に驚いた顔をした後、バツの悪そうな顔をして、後ろ頭をかいた。
 ラナケアは褒めたつもりだったというのに、そんな顔をされて首をかしげた。何か都合の悪いことを言ったのだろうか。
「何にも疑問に思わないんだな、ラナケアは。いいか、虹って言うのは空気中の水の粒子に太陽の光が反射してできるものって言われているんだ。七色になるのは屈折率がうんぬんとかいうけど、俺はそこまでは知らない。つまり、太陽の光がなくちゃ虹は出来ないんだよ……って、あ」
 半ば拗ねたような口調でファーマスはそう説明したが、途中で自分の失態に気がついた。ただ、目の前のしっかりしているようでワンテンポずれたような彼女があまりにもどかしく、虹について説明しただけだというのに。しかしそれは彼にしてみればとんでもない失態だった。
 ラナケアもさすがに気付く。
「え、じゃあどうして虹が……?もう、消えてる」
 ああ、と唸りながらファーマスは頭を抱えた。
「え、ちょっと、なんなのよ。ファーマス!」
「……言いたくない、ってダメかな?」
「ダメ」
 ファーマスはしばらく痛みを堪えるように奥歯を噛み締めた後、ゆっくり言葉をつむいだ。
「……。わかった、俺の失態だ。これから俺が話すことをラナケアがどうしようと俺は気にしない。行商人だからずっとこの村にいるわけでもないしな」
 そうか、とラナケアはふと気付いた。気付いたというよりは思い出した。彼は行商人だったのだ。いつかは、というよりも近々この村を出て行く。当たり前のことだ。ずっと、彼はここにいるような気がしていた。
「そっか……いなくなっちゃうのよね、ファーマス」
「当たり前だろ」
 どこか突き放すようにファーマスは言う。
「なんか、寂しいわ」
「……きっとそんなこと、言えなくなるさ」
 ファーマスは今までに見たことのないような、自嘲的な笑みを浮かべた。強いていえば、人嫌いだといったときに似ていた。
 ラナケアは今更のように問い詰めたことを後悔してみるが、もう後には戻れそうにない。それならば、よく事情はわからないが受け止めるのみ、と身構えた。
「いいか、ショータイムの始まりだ」
「え?……え、え?」
 誰も何もしていない。だというのに、あたりの景色は一変していた。森は美しい大海原へと姿を変えた。ラナケアは海のど真ん中に立っている。遠くに見えるのは白い陸。街並みだろうか。空は白い雲をぽつぽつと浮かべ、そして雲は海原へ陰を落としている。太陽は燦然と輝き、水面に乱反射して世界はきらめいていた。
 それがラナケアが生まれて初めて見る海だった。想像していたどんな青とも違う色。深くて優しい色だった。
「う……み」
 どうしようもな感動が、嵐のように巻き起こって思わず胸の前で両の手を固く握りしめた。ともすれば泣いてしまいそうな、そんな感動。きっとこれがファーマスの言っていたパラグロフの沖なのだ。白い街並みは太陽に照らされ白さをいっそう際だてている。街の白、空の青、海の藍。歯の根が合わなくなるような、光景だ。
 しかし、それらもすぅっと消えていき、再び見渡した世界は、森の中で空は雨上がりの曇天だった。
「俺は――」
「すごい!ねえ、すごいわ!今のどうやったの!?ファーマスがやったの?今のがファーマスが話してくれたパラグロフよね?すごいわ!本当に何やったの?」
「え……、逃げ、ないんだ」
「逃げる?何言ってるのよ!もう感動で足ががくがくしちゃった」
「だって、こんな、変な力」
「ちっとも変なんかじゃないわよ。むしろ誇れることだわ。だから何やったのよ。ほんとにファーマスがやったの?」
 言葉にならない言葉は、音になってラナケアの口から飛び出しひたすらに感動していることを伝えている。
 ファーマスはただ瞳を丸くしてそのままどすんとへたりこんでしまった。
「ラナケアは、変わってるな」
「よく言われる。でも今のどこが変わってるのよ?私変なこと言った?」
「言ったさ。皆、だいたいこんな変な力を見せると、逃げていく。俺から離れていく。時には罵って、蔑んで。それが普通だ。この世界はさ、とてものんびりしていて寛容なようで、実はとても狭量だ。少しでも人とずれているとなんでか排除しようとする。なんでだろうな。だから俺は人が嫌いなんだ。だって好きになった所で皆、離れていくんだから。それが真理なんだから」
「そんな」
 ラナケアはへたりこんでしまったファーマスの正面に腰を落とした。
「そんな悲しい事いわないで。私だって知っているもの。この村だって過去に一度異物を排除しようとした村だわ。でも、人の意識は変わるものよ。不変なものではない。だって、今もその子はこの村で生きているもの。風当たりは多少冷たくても、しっかり生きているわ。人の意思は集まれば世界の意思になる。逃げないで。あなたは逃げているんじゃないの?って、小娘が説教するもんじゃないわね」
 過去の、自分たちの身に降りかかった出来事を思い出して、思わず熱くなったが、よくよく考えれば彼は自分よりも年上で、なんだか気恥ずかしくなり、苦笑いした。
 ファーマスがうつむいたままに何かを呟く。
「……う」
「え?」
「ありがとう」
 膝に肘をつき、片手で顔を抑えながらも、瞳を上げたファーマスは笑った。
 灰色の瞳があんまりに綺麗だったので、しばらく呆けていると、額を小突かれた。
「ほら、もう夕刻だ。帰らないとまずいんじゃないか?」
「あ、ああ、本当」
 雲が流れてだんだんと茜に染まっていた空が見えはじめた。もうすぐ黄昏だ。この時季、空が赤く染まってから深い眠る藍になるまでそう時間はかからない。ラナケアは立ち上がろうとしたが、その前に一つファーマスに問うた。
「ねえ、ファーマス。私のこと、好き?」
「え。は?ど、どういう意味……」
「どういう意味だってかまわないわ。好き?」
「好き……、だよ」
 まだ戸惑った顔のままのファーマスの答えを聞くとラナケアは満足そうに微笑んだ。
「私はあなたから離れない。たとえあなたがまた行商の旅に出てしまっても、私はこの村にいても、離れないから。存分に好きになってくれて結構よ。私もあなたが大好きだし。もし人恋しいなって思ったらまたこの村に寄ってくれればいい。歓迎するから。ね?」
「ラナケアには負けるなぁ。ありがとう。きっともう明日か明後日には俺はこの村を出発するけど、また寄らせてもらう。絶対に。会いに行くよ」
「約束ね。私、明日は用事があるからきっとファーマスに会えないわ。もうしばらく会えないかもしれない。だから、またね」
「ああ、また」
 ラナケアはすくっと立ち上がると、ファーマスに手を振ってもう薄暗くなり始めた道を家に向かってかけた。人生で一番幸せだと感じた。

 世界が変わってしまった。
 どうすればいいのかわからない。

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