2.塵になった街


 「あ、いたいた!おーい!ケシー!!」
 タルーアは初めの高さからすでに幾分か高度を下げていた。リシアは森を抜け、草や木がぽつぽつ生えた中のあまり整備されていない道に快調に走るケシーの背中を見つけた。
 それを見ると、主の意思をくみとったかのようにタルーアはリシアを落とさない程度に急降下した。ケシーもリシアに気づいたようで、大きな影を落としてくる宙を見上げた。
「タルーアの方が早いんだから乗った乗った!」
「おう!」
 ケシーは自分の走る速さよりも少し遅く飛ぶタルーアの背に飛び乗った。ちょうどリシアの真後ろである。その身のこなしを見るかぎりでは、何度もやって慣れているようだった。
「タルーア、カミギエルの街に向かって」
 タルーアは人語を理解するのか、軽く頷くとカミギエルの街に向かった。タルーアと共に何度かカミギエルに行ったことはある。どうやらこの賢い鳥はそれをしっかりと覚えているようだった。
 ふわっともう一度青い翼をはためかせ、燦然と輝く太陽の下風をきった。一瞬のうちに大きな体躯は大空に舞っていた。

 「いよいよだねぇ、ケシー」
「ああ」
「楽しみだなぁ。昨日ケシーに教えてもらったときには飛んでこうかと思っちゃったくらいだよ」
 二人とも声が弾んでいた。顔にもまるきり仮面を貼り付けたかのようにずっと頬の筋肉が緩みっぱなしだった。しかしリシアの言葉を受けてケシーの顔に呆れが入る。
「……それでよくあんなにのんきにメシ食ってたな。食うならもっと早く起きろよ」
 朝の事を思い出してケシーは顔をしかめた。健康優良児な十七歳男子は朝食にパンを一つではとても足りるものでない。さきほどから腹の虫が空腹を訴え鳴き声をあげていた。だというのにのんきに目の前の彼女は朝食をとっていたのである。
 しかし責めた口調にならないのはその場のノリでいったからだった。
 リシアもおどけて口を尖らせ反論する。
「だって、楽しみで楽しみで気になって気になって夜寝付けなくって眠たかったんだからしょうがないじゃない!それに朝ご飯は食べないと貧血起こすよ」
 ケシーはため息をついた。何がしょうがないんだと心底思っていたりもした。この場でいきなり貧血なんて妙に現実的なことを持ち出されても困るだけである。
 楽しみにしていてくれたのはケシーにとっても嬉しい事なのだが、それで予定した時間よりも遅くなってしまいかけたのには閉口する。もっともあちらとてあまり早くに押しかけても迷惑だろうけれど。
 その時、進行方向から吹いて来る風に妙なにおいをかんじた。二人は顔を見合わせ眉をひそめた。なにかがおかしい。
「なんだろ?このにおい。こげくさいような……」
「なんだろうな。焚き火、なわけないよなぁ」
 焚き火だったらこんなところまでにおってくるはずもないが、二人はあまり深く考えなかった。不審な気持ちはあったがまだ軽い気持ちでいた。
 タルーアの背からは遠方がよく見えた。日の光をうけて初夏の緑をきらめかす山の稜線も、水平の彼方も。
 だから、黒煙が幾筋も細く流れているのも目に入った。焚き火にしては規模が大きすぎる、それ。
 二人は背筋に寒いものを感じた。何かあったのだろうか。良くない、予感がした。
 リシアは切羽詰った声でタルーアにスピードを上げるように言う。カミギエルの街に近づくと共に大きくなる不安。それは二人の心に確実に黒い影を落としていく。お互いに一言も喋らなかったが、共有している気持ちは全く同じであるだろうとどちらともなく思っていた。
 カミギエルの街が近づく。

 目の前に広がった現状は悲惨だった。
 悲惨という言葉では表せないのかもしれない。
 昨晩まではあったはずの町がないなんて、物語の世界だけだと信じていた。この平和な時代になぜこんなことが起こらねばならないのか。
 目の前に広がるこの景色はなんなのだろう。夢ではないのだろうか。頬をつねりたくなる。夢なら覚めてはくれないだろうか。
 ただ、二人は呆然とした。
 壊され黒ずんだ建物。焼けただれた木。
 そして、人だったものが転がる。
「何?これ……」
 無表情だった。恐怖の顔さえ作れない、そんな状態。唇がわなわなと震える。ポツリと言った言葉にすら感情の片鱗も含まれない。頭が受け入れようとしない現実。頭が完全にストップしてしまっている。なにも考えられない。
「ねぇ……何、これ?」
 ようやくリシアが感情を面に浮かべた。ただそれも複雑なものだった。驚愕。恐怖。混乱。
 ケシーの袖をかたく握り締める。
「ない。ない、よ?街が。ねぇ……」
 壊れた人形のようにリシアは繰り返した。言葉になるのにまだ頭が理解しない。なぜない。どうして焼けている。
 ケシーは足元が崩されたような錯覚に襲われた。
 二人とも立っていられたのが奇跡としか言いようがなかった。

 街に着く前に、悪い感じをそれとなく感じ取った二人はカミギエルの街の手前でタルーアから降りた。
そして、リシアが人語を超えた発音で呪を唱えた後、両の手を打ってタルーアをまた杖に戻す。
 ただただ、言いようのない不安を振り払うように、一歩一歩カミギエルの街に向かっていった。きっとあの白い石畳で整然となった明るい街並みが広がっているだろうと無理に思って。
しかし、待っていた現状は。

 「姉貴はっ!?」
 呆然と立ち尽くしていた二人だったが、ケシーが突然弾かれたように言った。ようやく思考が回り始めた頃だった。
 この街には、ケシーの姉であるラナケアとその夫、つまりケシーの義兄にあたるファーマスが住んでいる。今日はその二人を訪問するためにカミギエルまでやってきたのだ。
 リシアもその事実に思い当たると顔色を悪くした。ケシーの顔をさっと見る。
「さ、探そう、ケシー!」
 リシアが少し震えを含んだ声で言った。
 もしも、もしもの事があったら。
 否、むしろもしもの事がない方の可能性が低かった。この状況ではどう見ても絶望的だ。生き残っている人は、ゼロに等しいような、街だったもの。
 しかし、希望は捨てられなかった。その眼で確認するまで。二人は死の街に足を踏み入れる。恐れを抱きながらゆっくりと。
(姉貴!無事でいてくれっ!)
 歩いていく方向は、ただひとつ。
 ラナケアの、家まで。

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