3.一枚の毛布と二人の人間 ようやく涙を収めると、リシアは湖面に両手をつっこんで、水をすくい上げ、勢いよく顔を洗った。顔をあげると、水が珠となって飛び散る。月の青い光に照らされてそれは幻想的なまでに美しかった。 リシアはまだ濡れる手で頬をはたくと、緑玉の瞳を上げた。 (そろそろいかなきゃ。ケシー、心配するよね) 飯盒に水を汲んだリシアは走ってケシーのところへ戻った。 「たっだいまー」 「遅いぞー。もう、腹が減って腹が減って……」 「あはは、ごめんごめん」 ケシーからしてみれば、勢いよく飛び出していった割には帰りが遅かったわけだ。が、何かがあったのだろうかと少し不安になりかけたところで帰ってきたので適当に茶化しておいた。行きは走って帰りはのんたら歩いて帰りたい気分もあるのだろうと。 二人は手分けして夕食の準備をした。 といっても、ケシーはあまり家事こと料理と言うものに携わったことがない。軽い手伝い程度ならばしないこともないのだが、母と妙に昔から家庭的な姉がいたのでとくに手はいらなかった。以前に一度料理をしたとき、ケシーはお決まりなことに砂糖と塩をかけ間違え、魚の塩焼きが魚のカラメル和えになったとき以来、ちょっとしたトラウマになってやっていない。 そういうわけで、ケシーのやることといえば、火の番くらいなものだった。 一方リシアは一人で暮らしている以上、たいていのことはできた。その性格上、あまりこったものを作ったことは無かったのだが、十分な許容範囲内だ。 それからなれない道具と格闘すること小半時ほど。 できあがったものは、いつもに増して輝いていたように二人には思えた。野外炊爨と言う新鮮なことがそう思わせたのか、ちらつく火に照らされただけだったのか。 二人は手を合わせると、目の前にあるご馳走とは呼べないご馳走をたいらげ始めた。 「これがキャンプの醍醐味ってやつだよねー。家で食べるよりおいしい気がする!」 リシアもそう評したようにあっという間に作られた料理は二人の胃袋に消えていった。 すっかり暗くなり、飯盒に入れてある水に点々と星が移っていた。それがゆらゆらと揺れる。 後片付けも一段落着いたところでふたりはほっと息をついた。 小さく流れる虫の声に、薪のうちを赤く染める弱い火。どこか穏やかで、本当にただただキャンプをしにきたような、遊びできたような錯覚にすら陥る。しかし目的を思い出せば心中焦るのだが、動くに動けないもどかしさがある。 そんな中でケシーは呟いた。 「なんかなぁ、いざこうしてみると、やることってないもんだな」 リシアはどこか気が抜けたように返した。 「そうだね。ちょっと早いけど寝ちゃう?早く起きた方がたくさん飛べるし」 「それもそうか」 今までも無駄に夜をふかしたことはあまりなかったのだが、それよりもずっと早い時間だった。こんな時間に眠ろうとするのは思い出せる限りでは、十年は昔の話のような気がした。 よし、寝るかと二人は荷物に向かう。初夏とはいえ、夜風は思ったよりもずっと冷たい。この空の下眠るにはやはり毛布のたぐいが必要で、二人はそれを各々の袋からとりだそうとしたのだが、 「あ」 「何?どうかしたの、ケシー?」 明らかに毛布が無い。 毛布なんて大きいもの、ちょっと見ればすぐ見つかるはずなのに、あさっても出てこないということは。 無い。 リシアはその手に持っている、毛布というものがこの袋の中には入っていない。そういえば、うまく荷がおさまりきらなかったために、一度すべて荷物を出したとき毛布が入っていたような気がする。そしてそれを荷物の中に入れ忘れてしまったような気がする。初めは入っていた、それはつまり母親のフースは入れたということ。忘れた、それはつまり自分が入れ忘れたということ。 とてつもなく間抜けだ。だから抜けているなどといわれてしまうのだ。ケシーは思いきり肩を落とした。 「くっそー。毛布忘れちゃったよ……。このまんま寝るしか……」 「私の貸そうか?」 リシアの提案にすぐさまのろうとしたケシーだったが、その前にリシアは結構な荷物になる毛布を二枚も持っているのかそれを疑問に思った。 普通、といってもこんな旅に出るのが普通とも言い切れないが、一般常識に当てはめて荷物になるようなものを二つも持ってくるものだろうか。 「二枚持ってんのか?」 「ううん」 リシアはあっさり首を横に振った。 ケシーはがくりと首を折る。なんということを考えていたのだろうか、この幼馴染は。 忘れた自分がかけて持ってきたリシアがかけないなんて、そんな馬鹿な話があるものだろうかとケシーは思った。 一方リシアとしては無責任にもほどがあるほど、明日からあっさり敵としているものの側にまわってしまう己が身よりも、ケシーの体を案じたいわけだが、しかしそれを説明するにはまだ決心がついていなかった。 そんなことを知る由も無いケシーは力無さ気に首を振った。もっとも、事情を知ったとしても彼は同じ行動をとっただろうが。 「じゃあ、いいよ。俺が使ってお前が使わないなんて変だって。まあ一晩くらい何とかなるだろうし」 「そんなコト言わずにさぁ」 リシアがなんと言おうとケシーは首を縦に振らなかった。 なんとも奇妙な光景だった。毛布の取り合いならぬ、押し付け合いをするなんて。しかし、案外と困るものだ。ここまでくると双方引けない。これは取り合いだろうが、押し付け合いだろうがさして変わらないことだろう。 不毛な押し付け合いを繰り広げているなか、ふいにリシアが何かをひらめいたといわんばかりに満面の笑みを浮かべてポンと手を叩いた。 「そーだ!一緒に使えばいいんだよ!」 「な……っ!ば、馬鹿!何考えてんだよ!」 ケシーの顔が闇の中でもそれとわかるくらいに赤くなる。とことんこの幼馴染が何を考えているのか、思考回路がどうなっているのか見当がつかなかった。 「むっ!ケシーこそ何考えてんの?あー、わかった!なんかヤラシイこと考えてたんだ」 「ち、違ぇよっ!」 全く考えなかったかと聞かれれば嘘になるが、考えていたかといわれれば違うと答えられる。長年共にいすぎたせいか、若干男だとか女だとかの感覚が鈍っているのだ。ただ顔が赤くなったのは一般常識的に考えたためであって。 「とにかくだめだ!」 跳ねた心臓を落ち着かせてからケシーはそういった。リシアが不服そうな顔をする。 「なんで?別にいいじゃない。横になるわけでもないし」 地面に横になるよりも大木にもたれて眠るほうがおそらくはいいだろう。下に敷くものまではリシアも持ってきてはいなかったから。リシアとしてみれば横になるのには少し抵抗を感じたが、別に座って眠るくらいなら全然構わなかった。 「そーいう問題じゃなくってなぁっ!!」 「昔はよく一緒に寝たじゃない」 「昔の話だ!む・か・し・のーっ!!」 よくわからない攻防が続く中、結局折れたのはケシーだった。なんだかんだ押しに弱いのと無駄に疲れるのとリシアが頑固なのと。今日一日で一番疲れたことは何かと聞かれれば、ケシーはきっとすぐさまこのやりとりをあげただろう。 二人は木にもたれて一枚の毛布を横にしそれをかけた。 ケシーは少し落ち着かなかった。隣にリシアがいることと、そして、これからの旅の行く末に。静けさは不安を運んでくる。 呼吸をするごとにはいにはいってくる夜の空気。不安のためか、冷たいためか吐き出す息が震える。 空を見上げると、漆黒の夜空に星が輝いていた。 そうか、と思った。 あの、昨夜ラッカンスで見た夜空と同じだった。 空はつながっている。 だから何も心配することはないと、なぜかそう思った。 ふと、身体の横についていた左手に何かが触れた。自分より少し高いくらいのぬくもり。自分の手よりもひとまわりほど小さく感じられたそれはぐっと強く、自分の手を握り締めた。 リシアの手だ。 (きっと……リシアも不安なんだろうな) 広い世界に何も知らない二人が投げ出された。自分で出てきたが、投げ出されたという表現が一番合っているような気がした。不安に思わないというのも無理な話だ。 「大丈夫だよ、リシア。きっと」 「…………うん」 リシアの感じていた不安はケシーとはまた別のものだったけれど。 それでもリシアはその言葉に勇気付けられた気がした。 「………………………うん」 もう一度、自分に言い聞かせるようにリシアはそうつぶやいた。 そして夜は静かにふけてゆく。 二人ともいつの間にか深い眠りに落ちていた。 |
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