4.地獄へ一名様ご案内


 翌日、外気に触れて眠った新鮮さというよりは緊張もあってか二人とも早朝のうちから目を覚ましていた。もちろん早くに眠ってしまったということもある。
 朝もやが森全体にうっすらかかっていてやんわり差し込む朝日の光跡を目に見えるものにしていた。
 今日もよく晴れそうだった。この時期は天候が安定している。旅の初心者としては丁度よい時期に旅立ったのかもしれなかった。
 リシアはひとつ大きく伸びをした。胸に清涼なほのかに木々の香りのする空気がいっぱいにはいる。
「気持ちいいねぇ」
「そろそろ行こうか。今日中には村につけるだろうし」
 はっきりとはわからないが、おそらく目的地であるスーワルンの村は目と鼻の先だ。
 適当に持ってきたパンで朝食をとった後、毛布をたたんでケシーは自分の麻袋につめこむ。いくらタルーアに乗るといえど、やはり毛布は質量、重量ともにそれなりにある。借りたうえにそれをリシアに持たせるのは面目が立たないというか、例え小さかったとしても男としてのプライドが許さなかった。
 リシアにそんなことを言ったならばおそらくは大笑いされるだろうが、幸いにして毛布のことは何も言われなかったし、聞かれたにしても言う気も無かった。
 リシアは毛布をつめていたケシーの横でタルーアを杖から戻していた。おはよう、と声をかけて首筋のあたりを二、三度なでる。気持ちよさそうにタルーアは一鳴きして少しだけその青い翼をはためかせた。
 行くか、と声をかけてタルーアの背に乗る。二人は一夜を過ごした森をあとにした。

 「村に着いたら毛布買おうな」
 村に向かう空路で、ケシーはふとため息混じりにつぶやいた。あのあと無事に眠れたとはいえ、なかなか寝付けなかったのも事実だった。嫌悪感は全くといってなかった、というより、どちらかといえば嬉しさに近いような感情もあったのだがそれとこれとは話が別だった。
 その独白に近い呟きを聞いたリシアは、笑いをこらえるように顔をゆがめたあと、
「そんなに私と一緒に寝るの嫌だったわけ?」
 もちろんさきほども考えたように嫌だという気持ちは欠片も無かった。
 あったとすればそれは羞恥心からくるものだったのだろうからまた違うものだが、嫌じゃないと答えるのもなんだか自分が変態くさくなってしまうような気がしてためらわれた。
「い、いやそうじゃなくってさ。ほら、お前が嫌だろ?」
 結局自分がどうだったのかは語らずケシーはリシアの質問をそう流したが、よくよく考えれば一緒に寝ようと言い出したのはリシアだったのだから変な回答ではあったとケシーはいってから気付く。
 しかしリシアは自分にふられた質問に答えようとはしなかった。
「あっ!見えた!あれじゃない?」
 どちらにとってもいいタイミングで村が見えたらしい。タルーアの前部に乗っているリシアが先に見つけて指をさした。
 実のところリシアの回答を聞いてみたかったりもしたのだが、自分も濁したのでそれ以上は追及しなかった。きっと嫌ではないだろう。言い出したくらいなのだから。ほっとする心持ちだった。
 ケシーはその村を見た。実際に残る記憶の中であの村に行ったことは無かった。
 しかし、この大陸にある町村の中で今ケシー達が進んでいる方向に村か町があるとすればそれはアーノという大きな港街か、ケシー達の向かう、湖のほとりにあるスーワルンくらいしかない。
 規模の大きさから見てもスーワルンであるだろうし、世界で一番大きな湖と名高い湖も付近に見えた。歩いて村まで五百歩というところまでくるとリシアはタルーアに下降を命じた。さすがに、村にタルーアを連れて突っ込んでいくわけにはいかない。それはきっと村人を無駄に驚かせるだけだから。下手をすればワーイス大陸初のモンスター襲撃などと言われかねない。

 「このスーワルンって言う村もあんまりラッカンスと変わんないな」
 村の入り口でケシーはその村の全景を見渡すようにすると、そう遺憾の混じった声で言った。
 二人の記憶に残っている中ではカミギエルの街が一番大きかった。
 どこか、それ以上に大きな街を是非ともケシーもリシアも見てみたかったのだがどうやらスーワルンはたいしてラッカンスと変わらないようだった。ラッカンスはほとんど森の中にあるといっても過言ではないので、ここのほうが開けた感じはするのだが建物の間隔や、人の密集率はさしてかわらない。それが少し残念だった。
「とにかく、ウォッツさんを探さないとな。どこにいるんだろう?」
「うーん。やっぱり人に聞くしかないよ。ケシーはその人が何処に住んでるのか知らないんでしょ?」
 あたりまえだった。住む場所を知らないどころか面識すらない。ひょっとしたら母つながりで会っていたのかもしれないがあったとしてもそれは幼いころの話だろう。リシアとも出会う前の、記憶に残っていないような昔。
「誰かこの村に詳しそうな人……。あっ!あの人に聞いてみようよ!!」
 あたりをきょろきょろしていたリシアが突然走り出した。行く先を見ればいかにも物知りたる顔の老人がいた。ケシーは慌ててリシアを追う。
 老人はリシアがかけてきたのを見てきょとんとしていた。
 リシアは老人の目の前にくると走った勢いそのままで声をかけた。
「おじいさん!ウォッツさんっていう人の家が何処にあるか知りませんか?あっ!怪しいものじゃないので!」
 ケシーがリシアに追いついたとき、リシアはすでに老人に声をかけていた。行動がいやに早い。
 老人はリシアの問いかけを聞くとすぐにぴんと来たようでおお、と声をあげた。
「ウォッツか。いやいや。こんな可愛らしいお嬢さんが怪しいはずなかろうて。あいつの家はここをまっすぐに行って……あー、ほら見えるじゃろ?あの妙に無機質なところじゃよ」
 老人が指した先は確かに殺風景な佇まいがあった。なんともシンプルな外観だ。ケシーとリシアはなんとなくウォッツがどういう人がわかった気がした。おそらく独身で、一人暮らし。間違っていないだろう。
 そしてフースの言ったとおり、剣術の嗜みがあり、武人気質なのではないだろうか。しかし質素を好むのか、それとも面倒なだけかはわからなかった。
「ありがとうございました!」
 声を揃えて老人に礼を言って頭を下げると、二人はその殺風景な家に小走りに向かった。
 ケシーはなんとなく心がはやる。人に教えてもらうなんて、何年ぶりだろうか。村は、あの気質なものだから、教えられる、というほどのものはいなかった。ケシーの父親とて、その程度だったのである。
 未知のことに出会える可能性、ことそれが自分の嗜好にあうものならば胸が弾むのも頷ける話だった。
 そして後に残った老人は刻み付けるように鋭い目つきで駆ける二人の後姿を見つめていた。

 「あらためてみるとまた殺風景だなー」
「そだね」
 近くに寄れば寄るほどそれは殺風景で無機質に見えた。生活の温かみというものから少し外れている。
 ケシーは一呼吸おいてから木製の扉を二、三度たたいた。それなりに古いのか、ぎしぎしと音がした。
「すみませーん!ウォッツさんはいらっしゃいますか?」
 扉の奥に向かって呼びかけるようにするとまもなく扉が鈍い音を立てて開く。
 そこから出て来たのは肌の浅黒い大柄な男だった。頭髪は短く、精悍な顔立ちをしている。年のころ、三十代半ばから後半といったところだろう。
 一瞬、ケシーはどうやって母とこの男が知り合ったのか、それが非常に気になった。あまりというよりも全く接点というものが見当たらない。
「ウォッツは私だが。何の用だ?」
 やはり低くはあったが、思っていたよりも明るめな声だった。ただ怒鳴られたらこれは相当に怖いだろうと二人は思う。
 ケシーは少し引き気味に、けれどはっきりという。
「いきなりなんですけど、剣術を教えていただきたいんです」
 言い終わってからケシーは本当にいきなりだと思った。昨日の今日なのだから母から連絡が届いているはずもないだろう。向こうから見れば、それこそお前は誰だと思っているに違いない。
 いろいろと説明しようと口を開きかけると、先にウォッツが言を挟んだ。
「なぜ私を?」
「あ、母、えーっとフース・スィンドはご存知でしょうか?母の紹介で」
 しかし、いざ話そうとすると、頭の中ではまとまっているはずなのにそれが上手く口をついてでない。しどろもどろになりながらなんとか訳を説明したが、それにしたってもっといい言い方というものがあっただろう。
 一人脳内パニックになっていると、ウォッツはああ、フースさんの、とぽつりとつぶやいた。どうやら知り合いではあるらしい。本当に一体何処で知り合ったのだというのだろうか。
 ウォッツが理解してくれたと思うと、とたんに頭の中が冷静になって、上手い言い方という奴が何通りも浮かんできた。今更、とケシーは内心ため息をついたのだった。
「そういえばどことなく面影があるような気がするな。こんなところで立ち話もなんだ。中で聞こうか」
 ウォッツは半身を引くと家の中へケシーとリシアを招き入れた。

 家の中は外と同じく無骨ではあったが生活感が無いわけでもなかった。人が生活している、ということを外から見るよりもはっきりと感じ取ることが出来る。必要最低限のものしかおいていないが、客を招くくらいの用意はあるようだ。
 ウォッツはやはり独身らしく、茶をいれる後姿が妙に板についていた。大柄な男が茶を入れる姿が好ましいことなのかどうかはなんともわからないが、ケシーにしろリシアにしろ親近感がわいたような気がした。
 ウォッツは茶を二人の前に置くと二人から事情を聞き始めた。
 初めはよく知らない人とはなすことに慣れないからかつっかえつっかえ話していたが、話も中盤頃にはリシアもつっこんできて随分とスムーズに話せるようになっていた。
 話が終わると、ウォッツは口もとに手をあてながら、
「なにやら大変なことになっているようだな」
 ウォッツの言うとおりだ。
 見えないところで静かに、しかし確実に。おそらくはギルバーツという人物を中心としてなにかが世界単位で動こうとしている。そんな感触があった。そんな大事に姉のラナケアは巻き込まれてしまって、自分達はつっこんでいるのだとケシーは改めて思う。果たして自分に何ができるというのか。
 この世界でその大事に気づいている人が何人いるのだろうか。ひょっとしたら誰も信じてくれないかもしれない。ただ、今回ウォッツが信じてくれたというのは彼の人柄もあるのかもしれないが、一番のところは先日実際にあったカミギエルの町の崩壊だろう。あの話はとりあえずこの大陸内ならばおおよそのところに伝わっているとみなしていい。
「はは、私がもう少し若かったら自分で乗り出したいところだがな」
 しかし、あてもなく旅をするだけの体力や気力がまだ残っているのかどうか、それがウォッツには疑問だったらしい。そんな迷いを残したまま旅立ってもきっと何にもならないだろう。
 ウォッツは話を切り替えた。ここに来た目的、ケシーへの剣術伝授について。
「よし。事情は理解した。ケシーといったな。剣術の腕はどれほどのものだ?」
「基本は昔、父から教わりました。父が怪我で動けなくなってからも独学ですが一応練習は続けてます」
 父から教わったのは本当に基礎の基礎だった。それからが助言も受けつつではあったが本などを読んで練習を続けていた。しかし、試すものが無いのでその力がどれほどのものかなんてケシーの知ったことではない。それを試してみたいという思いも確かに存在した。
「そうか。お前たちの話を聞く限りでは急ぎのようだが……お前の腕次第だがいかに急いで早くしても三、四日はかかるし、これは応急処置のようなものだ。下手すれば半月から一ヶ月は絶対だ」
 早くて三、四日。一刻も早くラナケアを助けたいケシーにしてみれば自分の腕がいいことを願うばかりだ。応急処置でも構わなかった。とりあえず通用すればいい。そしてあとは練習法をおそわれば、旅の途中でも訓練はできる。
 三、四日。ケシーが心に決めた日数だ。これ以上なんて引き伸ばせない。日が経てば経つほど足取りがわからなくなる。手がかりが消えてゆく。
「わかりました」
 真っ直ぐな青い瞳をウォッツに向けた。
 それを見ると、ウォッツは満足げに大きく頷く。
「それでは地獄の特訓を始めるとするか」
 ウォッツは人の悪い笑みを浮かべた。ケシーの背筋になにか冷たいものが這った。この男が「地獄」という言葉を使うとどうしても本当に地獄を見るような気がした。実際見るのかもしれない。
 リシアはその二人の様子にしばらく笑いをこらえていたがついには声がもれた。
「なんだよ、リシア……」
 げんなりとしてケシーはリシアを見やる。
「ごめんごめん。それじゃあ、私は宿をとってるから頑張ってね!地獄の特訓」
 ケシーはリシアの言葉の語尾にハートマークがついているのを察した。人事だと思って、と嘆きたくなるが人事である。
 リシアはウォッツに一通りの礼を言ってからウォッツの家を後にした。妙に彼女の足が弾んでいるように見えたのは、他人の不幸は密の味と思われるような状況におかれているケシーの猜疑心に満ち溢れた心で見たからだろうか。
「さて、それじゃあいくとするか」
「え、どこに?」
「どこって……地獄だろう?」
 ウォッツは大きな声で笑った。
 ケシーは少し、泣きたくなった。

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