5.サヨナラ ウォッツの家を出た後、リシアは宿をとった。さほど広くない村なので、宿はここ一軒のみだ。いくらケシーも迷うことはないだろう。金銭の節約のためケシーが不審がるかもしれないが、一人部屋を一人分しか取らなかった。 (いいよね。わかってくれる……よね) そう思ってから自分よがりな考えにため息をつく。 受付で鍵を受け取るとリシアは部屋へ向かった。全ての行動が重たく感じられる。あの黒ずくめとの約束のときは刻一刻と近づいている。 鍵を開けて入った部屋は少し古びた感じで、黄色いカーテンの奥からさしこむ逆光が全てを鈍く光らせていた。丸いテーブルも、ベッドもクローゼットも。全てがセピア色に褪せてみえた。 リシアは暗い予感を頭を振ってふっきると、部屋に据付けてあった羊皮紙と万年筆を取った。 そして少し震える手を必死に抑えながら手紙を書き始めた。ケシーに宛てた手紙を。 結局、面と向かって言おうとしたのに言えなかった。 手紙だけ残して消えるなんて逃げるみたいだったけれど、今のリシアにはこれしかできなかった。何も残さないよりはまし。何を思われても弁解をする気もない。これから裏切るのだ。あの幼馴染を。どこか抜けてて、けれど真っ直ぐな彼を。 色々と考えながら書いているとどうしようもなくてだんだん涙がにじんでくる。 (やだな。最近泣いてばっかだ……) 視界がぼやけてしまったので涙を拭い取ろうとする。しかし、その前に一滴、ぽたりと涙が書いた字の上に落ちた。じわりと黒いインクがゆっくりにじむ。書き直そうとは思わなかった。 いつしか考えていたことは全て消えうせ、胸の中はケシーへの謝罪でいっぱいになった。 (ごめん。ごめんね……っ!!) リシアは机の上に万年筆を放ると、両手で顔を覆った。 手紙を書き終えたリシアはそれをテーブルの上におき、顔を洗った。涙で少し目が赤くなっていたから。 もうすぐ約束の昼の刻。ケシーがここに帰ってくる可能性は極めて低いだろう。ケシーのことだから一刻も早くラナケアを救うために必死になってやっているはずだ。昼食だって忘れるくらいに。 リシアはふっとひとつ息を吐くと意を決したように澄んだ緑の瞳でどこともなくにらみつけた。自分の未来を見据えるがごとくに。 リシアは着替えを除く荷物を全ておき、タルーアの宿る杖だけをつかむと部屋を出た。鍵はフロントに預けておく。 宿の出入り口の扉を開くとどういうわけか複数人の黒ずくめがいた。 しかし、この際、リシアに人数は関係なかった。この黒ずくめたちに心は屈服しないようきっとにらみつけた。もちろん、彼らに従わない術はなかった。 「行くぞ」 黒ずくめの一人が淡々と声をかけた。 リシアは一歩踏み出した。そして、二歩、三歩。闇へ続く道を確実に踏みしめていた。 (あ、ありえない……。これが、あと何日続くってんだ?) すっかりあたりは暗くなり、ケシーは宿への夜道をふらふらになりながら歩いていた。 少し前までは昼食をとっていないこともあり、空腹を覚えていたのだが今となっては疲れが後押しになってとにかく休みたいの一心だ。ついさっき、宿に入ることが出来るぎりぎりの刻限まで続いたウォッツの『地獄の特訓』の第一日目が終わったのだ。彼は地獄の名にふさわしいほどスパルタにケシーをしごいてくれた。 今までの練習のしかたが甘かったことや、他にも色々得ることはあった。が。 (明日、足腰立つかなー……) 明日のことを考えつつあさっての方向を見てしまうほど、体力の限界だった。ウォッツは明日は朝からしごいてやるとやる気満々な表情でケシーを帰してくれた。 ケシーはこれはしかたのないことで、当たり前のことなんだ、と割り切ろうとしたが出てくるため息は抑えられなかった。 宿は村に一軒ということもあって人に聞くとすぐに見つかった。 なんでも、場所を聞いた人によると例の世界最大の湖が綺麗に見える場所に建てられたそうだ。 ケシーはそれも密かに楽しみにしていた。もっとも、今日はもう暗くて何も見えないだろうが。 「えーっと……リシア・クレファンスで入ってると思うんですけど」 ケシーはちらっと宿帳をのぞいたが、リシアは一人部屋を一つしかとっていない。ケシーはぎょっと瞳を見開いた。 (な、何考えてんだよ、リシアのやつっ!!) 内心慌てふためくケシーをよそに、受付にいた宿の主人は部屋番号が書かれたキーホルダーのついた鍵を渡した。おそらくこの宿の規模ならマスターキーはあるかもしれないが、一部屋に鍵は一つだろう。しかし、受付に鍵があるとなるとリシアが外出していることを意味していた。 (あれ?リシア、こんな時間に何処に……) ふっとなにか嫌な予感が脳裏をよぎったが体が疲れすぎているために深く考えられなかった。 宿の二階に向かう階段でじっと鍵を見つめる。ほとんど本能からくるような妙なチリチリとした焦燥感はまだ続いていた。 部屋に入ると真っ暗だった。やはり、リシアがいるとは到底思えない。 ケシーは宿の主人に渡されていたランプで部屋を照らしながら、部屋の数箇所にあるあかりに火をともした。 一瞬、こんなの魔術で一発よ、といったリシアの顔が思い出された。 妙な、それもリシアに関するらしい焦燥感はいっそう激しさを増していた。嫌な予感がケシーを襲っている。 そして、テーブルの上に見つけた羊皮紙。否、手紙。きっと外出するという旨の置手紙だろう。なのに、心臓は耳に届くほど大きく鳴っていた。 ケシーは息を呑むとそれをそっと手にとり、持ち運びの出来るランプで手元を明るくした。 「リシアの字だ」 まぎれもない、リシアの字。そして手紙の初めには『ケシーへ』の文字が見える。 ケシーは息を飲み込んでから手紙を読み始めた。ただの他愛ない置手紙であることを願って。 『ケシーへ。何書いていいかよくわからないから変な文になってるかも』 手紙の書き出しはこんなものだった。字が少し震えている気がした。 嫌な感じは拭い去ることが出来ないどころか、逆に増していく。 『いきなりだけどお別れです。ちょっとね、いろいろあって、ギルバーツの仲間、って言うとやだな、ギルバーツに従わなきゃいけなくなっちゃった。嫌だよ……すっごく嫌。でもね、色々、得なこともあると思う。うん。前向きに考えなきゃね。 直接ケシーにいえなくってゴメン。言いたかったんだけどね、なんか怖くて逃げちゃった。 たぶん、私、ラナケアさんに会えると思うんだ。きっとラナケアさんがいるところに連れて行かれる。 でも、そこがどこかはわからない。ケシーはラナケアさんを助けに行くんだからきっとまた会える……ってこれじゃムシが良すぎるか。私はケシーを裏切ったんだもんね。 でも、でもね、ムシがいいってわかってるけどお願いがあるの。 私を止めて欲しい。なんかとんでもないことに加担しようとしてる気がする。私はそれに逆らえない。だから、私を止めて欲しいの。何をしたっていいから。 荷物は置いていくよ。私はどうせもう使う気ないから、っていうかケシーに使って欲しい。私なんかのためより、ケシーのために使って欲しいから、置いていくね。 でもケシーもいらないだろうから杖は持っていきます。もちろん、タルーアもね。 移動手段徒歩になっちゃうね。ほんと、ゴメン。 縁起でもないけど、これから何が起こるかわからないから書いとくね。 今までありがと。サヨナラ、ケシー。 リシア』 ケシーは読み終わった後もしばらくは穴のあくほど手紙を見つめていた。 信じられないとかそういう次元ではなく、もっと根本的な何かが止まってしまった気がした。 放心状態から戻ったのち、ケシーの中に沸き起こった感情はやり場のない怒りだった。 決してリシアに対して怒っているわけではない。だからこそやり場がないのだが。 ぐっと手紙を握り締めた。乾いた音がして自分の手を中心に羊皮紙に放射線状のしわができる。 そして手紙を持っていた手とは逆の手で握りこぶしを作り思い切り壁にたたきつけた。 壁に伝わった鈍い音と共に手の横にじんとした痛みが走った。 手は壁に押し付けたままうつむく。歯を食いしばったのは手が痛いなどというくだらない理由ではない。もっと違うところからくる何か「痛い」ような「苦しい」ようなものに耐えるように強く奥歯を噛みしめた。 「どうして……なんでだよっ!リシア……っ!」 ケシーの小さな叫びは古びた部屋にむなしく反響した。 答えてくれる人は、もういない。 |
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