2.抜き打ち試験開始 人間なんていうものはよくできているもので、なぜか昨日できなかったことが唐突に今日できることがある。 例え全身が筋肉痛に襲われていたとしても。 (痛ー……っ) 刃は潰してあるものの紛れもなく本物の剣を正面に構え、じりとわずかに足をずらす。 初夏の陽気は思った異常に暑く、体を動かしていれば汗が滴り落ちてきた。 それと同時にケシーは内心で冷や汗をかく。 昨日の「地獄の特訓」のせいでちょっと動くだけでもみしみしと体がきしみそうだった。 とくに右の手は手首の側に曲げようとしただけでつったような痛みが走り実のところまともに剣が振るえているのかどうかすら危ういところだ。 しかし不思議なことであきらかに昨日よりはうまく剣が振るえている。自分でもわかるくらいに。 タイミングや力の加減など昨日習得したつもりもないのになぜかちょうどいい。 ウォッツが前にいる。自分が切り込むのを待っている。 いろいろな雑念が頭を支配した。 痛む体。ラナケアのこと。彼女をさらったものの存在。そして消えたリシア。 ケシーは一度瞳を閉じると深く呼吸をした。一時的に雑念が頭から排除されていく。今はただ目の前の特訓に集中すべきなのだから。その雑念のためにも。 頭が澄んだころケシーは瞳を開けた。実際の戦いの場でこんな悠長なことをしている暇はないだろうが、今はまた違う。 悠長なことをしてでもできるようにならなければ、もっと焦るであろう実戦で意識を研ぎ澄ますことができるはずなどない。 ケシーは地をけった。 心地よい夜風が窓からそっと吹き込んでくる。 ケシーは明かりもつけずに闇の中、宿のベッドの上にいた。 一風呂浴びて水気をまとった髪に体に風が気持ちよい。疲れが少し癒された気もする。 二日も体を酷使し続けたせいでもう一歩たりとも動く気になれなかった。 闇は見るものが無い。つまりいろいろと想像がはたらく。自然と見えないものを想像したり、この部屋とはなんの関係もないことを考えたりする。 まぶたを閉じれば浮かんでくるのは顔。それは苦痛に顔をゆがませながらもケシーたちに情報を託した義兄ファーマスの顔であったり、最後に見たもうすぐ子供が生まれるのだと嬉しそうに語る姉ラナケアであったり、頑張ってね、と地獄の特訓にむかう自分を送ったリシアの笑顔であったり。どんな気持ちで笑顔を浮かべたのだろう。 瞳を開けばそれらの幻影はろうそくの火のように消え去る。 (……待ってろよ、姉貴、リシア。絶対に……絶対に助けるから。助けて、みせるから) そう心に誓う。 しかし、意気込んでは見るもののやはりどこか不安がつきまとった。独りであることが予想以上に堪えているらしい。 人は独りでは生きられないものなのではないか、とケシーは改めて思った。 そしてひとつため息をつく。 (あー、もうだめだ。何も考えらんない) ケシーは本能に任せるまま瞳を閉じた。今度は何も浮かんでこなかった。 そのまま意識は深淵へとひきずりこまれていった。 朝陽がカーテンの隙間からこぼれた。今朝は昨日よりもすっきりしていたからか、すっと瞳が開いた。しかし二日間酷使した体は動かすたび古びたブリキのおもちゃのような音をたてそうだ。起き上がるのにいちいち顔をしかめていた。 いたたた、と呟きながら顔を洗う。ずいぶんとさっぱりした。長かったようで短い三日間。得られたものは基礎中の基礎かもしれない。けれどこれ以上立ち止まっている暇はない。ウォッツが止めようとももうケシーはここに留まるつもりはなかった。 彼らの目的が何であるのかはわからないが、もしかしたらリシアやラナケアが危険な目にあっているかもしれない。 あてはまったくない。しかし必ず彼女達のもとにたどり着けるという確信めいた希望があった。 そうして飲む込むように朝食をほおばると、ケシーは部屋を出た。 宿の入り口にはなぜかウォッツが立っていた。ケシーを見ると、人の悪そうな笑みを浮かべる。今の時間はそんなに遅くない。今からのんびり歩いて練習場にしている空き地まで行ってもまだウォッツはきていないだろうとケシーはふんでいた。だから、自然と瞳を丸くする。 「あれ?何でこんな早くに?」 「いや、心構えをしてもらおうと思ってな。お迎えだ」 「は?心構え……?」 「地獄の特訓」の心構えならばこの二日間でしっかりと身に付いた。というよりも、今更地獄の特訓の心構えをさせるというのも変な話だ。ケシーがそのことをいうと、ウォッツは笑みを深くする。 「いや、特訓はなしだ。急遽、試験をすることにした」 「し、試験?聞いてないですよ」 非難がましい声でケシーは言う。 「だから心構えさせるために来たといっただろう。練習場に着くまでにしっかり心構えしとけ」 「試験……ってなにするんですか?」 「ま、それは着いてからのお楽しみさ。なに、難しく考えることもない。適当に心構えしとけばいいんだ」 そんな、無責任な、とケシーは心の中で呟いた。逆に変に緊張してしまうではないか。 ケシーは練習場までの道をウォッツの隣で歩いていたが、その顔をちらりと盗み見ても彼の考えは窺い知ることはできなかった。 いったい練習場で何が待っているというのか。 無駄に青い空を見ているとなんとなく腹立たしくなった。自分の緊張も知らず晴れ渡っている空に文句を言うのはお門違いなのだが。 「おい、フィービット!来ているか?」 練習場につくなり、ウォッツは怒鳴った。この人の怒鳴り声はなかなかなれないとケシーは思う。割れるような声は何度聞いても一瞬肩をすくめてしまう。 「師匠!……彼ですか?俺と戦わせたいというのは」 「は?」 練習場の周囲に生えている木の陰から一人の男が出てきた。ケシーより四、五歳ほど年上だろうか。正確な歳はわからないが、姉のラナケアと同じくらいだとケシーは思った。 その男は男にしては長い黒髪を無造作に後ろでひとつにまとめていた。肌は日によく焼けていて浅黒い。長身でそれなりにがたいはいいようだが、痩せ型だ。 「えーっと、ウォッツさん、彼は?」 「まあ、私の弟子といったところだな。ぶらりと武道修行をしているらしく、剣術をならいに私に弟子入り志願してきた変わり者さ。こんな辺鄙なところに来るくらいだからな。うちに泊り込むくらい熱心なやつだ。名前は」 「それくらい自分で言いますよ。俺の名前はフィービット。フィービット・マストンドだ。よろしくな。お前の名前は?」 「え、あ。俺はケシーっていいます。ケシー・スィンド。こちらこそ、よろしくお願いします」 ぺこりとケシーは律儀に頭を下げた。 「いや、そんな硬くならなくても」 フィービットが苦笑する。しかし、どう見ても年上のような気がしたので敬語を使わなければいけないような気がした。 笑われたことに少し赤くなって、その話題から離れるようにケシーはウォッツに尋ねた。 「お弟子さんがいたんですか。でも、ウォッツさんの家にはいませんでしたよね?」 「君たちが来た日の朝に所用で使いに出したのさ。泊めてやる代わりに使いっ走りにしてるんだ。昨日の夜帰ってきた。で、ふと思いついたのさ。こいつとお前を戦わせてみようと」 「って、それが試験ですか?俺、不利じゃないですか!だってフィービットさん俺より前から修行してるんでしょう!?」 「いや、そんなこともないんじゃないか?お前とて昔から剣術をやってはいたのだろう?それに、こいつは剣術でなくこっちが本業だからな」 そう言ってウォッツは拳を作り、指さした。どうやら格闘技のことをいっているらしい。 フィービットは少しそれを見て不機嫌そうな顔をした。 「その話はしないでくださいよ、師匠」 「別にいいじゃないか、減るもんじゃなし」 「俺が思い出すのが嫌なんです!あまつさえ本業だなんて」 ぶつぶつと声にあからさまな不満の色を浮かべてフィービットは呟く。なにか、あったのだろうか。格闘技との因縁なんてちょっとばかり思い浮かばなかったけれど、なにかあったのかもしれない。 ウォッツは顔を引き締めてゆっくりと言った。 「さ、おしゃべりはこのくらいにしてそろそろ始めようか、試験を」 |
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