1.暗く冷たい夜


 窓からは星が見えた。ちらつくそれを見ているだけで切なく、そして悲しくなってくる。少しばかり寒かったので、毛布の中にさらにくるまる。頭の中を支配するのは自責の念。あの日以来ずっと胸に抱き続けていた自責の念が改めて深くなる。こんな力を持ってしまったせいで。宿のベッドの中、リシアはここ数日のことを思い出した。ケシーと別れてからの数日を。また自分を責め苛むとわかっていても。

 ケシーと別れ、リシアは男達に連れられてアーノへと向かっていた。男達は一言も喋らない。重苦しい沈黙だ。複数名彼らがいるのは、きっと彼女が逃げ出そうとしたときの対策か何かだろう。無論、リシアは逃げ出す気はカケラもなかった。ケシーのことも、村のことも。仮にも九年間を過ごした村だ。そしてそれが記憶の全てだ。見殺しにできるほど情は薄くはない。
 アーノまでは特に何事もなく世界が赤く染まる頃にはつくことができた。船をつかうらしいが、最終便の出航がもうまもなくのようで、休む間もなく街を見る間もなくリシアたちは二番港へと向かった。
 彼らの姿が目立つのだろう。妙に視線を集めているような気がしてなんとなく気恥ずかしかった。おおかた、人買いか何かと勘違いされていることだろう。この男達は得体が知れなかった。一個の人としての性格すらもわからない。全くと言っていいほど喋っていないのだから。
 船はいともあっさりと出港した。村を出たとき、もっと期待に胸を弾ませてこの大陸を出て行くのだろうと思っていた。生まれ育っただろうこの大陸を。なのにこんなにも暗澹とした気持ちででることになるとは想像にすらのぼっていなかった。何の感慨すらこの地に残せず、船はあっさりと出港したのだ。感傷に浸る暇もなく。

 船の中では、だいぶ男達も散り散りになったが、必ず一人はリシアについていた。どうにもくつろげない。さすがに夜を同じ部屋で過ごすことはないだろうが。こんなのと一緒では貞操の危機というよりも、とにかく不快感が後押しになって眠れそうもない。とにかくこの重たい沈黙をどうにかしようとリシアは部屋を出て食堂のようになっているところの席についた。とくにこの船の中では甲板に出なければ動きを制限されることもない。男は変わらずついてくるのだが。
 どうやらタルーアの存在を知られているようで、甲板に出ないようにというのはその対策だろう。そういえば魔術のこともしっていた。どこからもれたのだか、とリシアはため息をついた。タルーアにしろ魔術にしろ人前で見せたことなど、ほとんどないのに。
 食堂は人が多くざわざわと賑やかだった。すこしは沈黙もまぎれるが、気分までもが晴れるわけではない。男はリシアの正面に腰を下ろしていた。顔はフードの陰になっていて、よく見えない。どうせこんなやつだ、性悪な顔に違いない。
 リシアはやることもなく特に考えもなしに彼に話し掛けてみた。
「ねえ」
「何か用か」
 リシアは憮然とした。もう少し事務的でなく気を遣うとかそういったことをしてはくれないのだろうか。もっとも人を脅すような奴がいきなり優しく話し掛けてきても困るには困るのだが。
 話題が浮かばないままなんとなく口を動かした。
「計画って何?なんで私が必要なの?ラナケアさんの子も」
「この世界を破壊するのだ。全てを消し去る。そしてそれにはお前のような力のある者が必要だ」
 あっさりと告げられた言葉。一瞬頭がその言葉を理解しようとしなかったが、わかったとたんリシアは深緑の瞳をめいっぱいに丸くして男をみつめた。正気の沙汰ではない。世界を破壊するなどできるわけがない。
 第一、征服ではなく破壊。この男ももろともに滅びてしまうではないか。正気の沙汰ではない。こんなことを考えるギルバーツもギルバーツだがついていくこの男もこの男だ。
「なに考えてるの!?世界を破壊する!?」
 だん、と木製の机に両手をたたきつける。
 リシアはその場も気にせず椅子から立ち上がって怒鳴ってしまった。まわりの視線がちょっとばかり降り注がれるが、気にしているときではない。
 この世界は。たしかにいいことばかりではない。でも、大切なものがたくさんたくさんある、いる。なのに勝手に破壊するなんて、許せる許せないの問題ですらなかった。
 男は落ち着き払って座ったまま若干顔をあげてリシアを見上げた。少しだけ、フードの中が見えた。目が、見えた。性悪とはいいきれない。なんとなく捨てられた子犬を思い出させるような目。
 しかし男はすぐに顔を伏せる。リシアはなにかを見間違えたような気がして、勢いを忘れ少し呆然とした。
「……おまえは、我らの計画にすすんで参加する気はないようだな」
「あ、あたりまえよっ!」
 その声はどこか、何故か沈痛な響きを持っていた。無表情な声しかきいていなかったリシアはただ驚いて、当たり前な答えがしどろもどろになってしまう。
 なんなのだろう。何かを思い出す。あの瞳を見ていると。何かを。
 リシアは気を取り直した。いくら思い描いていたのと違ったとしても、彼らはケシーを、村を人質に取った。いいやつでないのは間違いない。情報を集めよう。彼らの手を逃れたとき、きっと後を追っているケシーと合流して先へすすむために。もっとも、リシアはといえば、なるべく自分が彼らの懐まで飛び込んでラナケアだけでも救い出そうと思っていたりもしたのだが。
「……で、どうやって?世界なんてそんな簡単に滅ぼせるわけないじゃない」
「伝説は知っているな」
「知ってる」
「その伝説の魔をよみがえらせるのだ」
「え?だってあれは伝説……物語でしょ!?」
「全て、事実だ」
 今度こそリシアは二の句が告げなかった。
 伝説。もうすっかり昔話との区別はつかないが、伝説として語り継がれ、書に記されているものがこの世界にはあった。英雄伝承歌のようなものである。世界各地に広がり、詳しかったり簡略だったり地方によって微妙に異なる。
 勇者達が魔王を命と引き換えに倒し、世界を平和に導いたというどこにでもあるような伝説。子供が作ったような話。
 いわゆるバッドエンドだが、子供向けの絵本のようなものには最後に勇者達が生き返るというハッピーエンドなものもある。このように最後の展開まで変わってしまっても誰も不信感を抱かないほど不確かな伝説だった。伝説といわれてはいるものの、物語と思われているのが一般的だ。リシアがなにもいえなくなったのも無理はなかった。
 彼らは子供ではない。けれど、子供のような夢。妙に現実味を帯びている。
 そういえば、もしも魔とはモンスターのことだとしたら。ケシーの母、フースが子供だった頃、モンスターは世界のどこにもいなかったといっていた。なのに近年、ワーイス以外の大陸でモンスターが出没している。これがもし、方法はわからないにせよギルバーツの仕業だとしたら。
 リシアは思わず身震いした。夢物語ではないのかもしれない。
「……なぜ、世界を破壊しようとするの?目的は、何?」
 震える声でリシアは尋ねた。
「……ギルバーツ様に、聞くことだ。おまえはどうやら幸せに育ったようだが……もしかしたらおまえにも理解できるかもな」
 わけがわからない。何故世界を破壊する理由が理解できなくてはならないのだ。そんなのは嫌だ。
 男はそれ以上は何も語らなかった。リシアは重たい気持ちのまま部屋に戻った。このまま今日は眠るといったら男は部屋の前までついてきてそこで別れた。別れたといってもどうやら部屋の前に一人二人いるらしい。まるきり要人警護だ。
 少しばかり気分が悪い。船酔いでもしたのだろうか。疲れた。とにかく休息が取りたかった。
 ベッドにもぐりこむと休息が取りたいと思っているのにいろいろなことが浮かんでくる。考えずに入られない。
(どう、しよう。私とんでもないことに加担しようとしてる……。ヤダよ、怖いよ。この力がいるんだって、あいつら言ってた。やっぱり、私なんかこの世に生まれてきちゃいけなかったんだよっ!誰か私を止めて……。いない方がいいんだから、殺したってなんだって。怖い、怖いよ……)
 しっかりしようと、弱音は吐くまいと思っていたが駄目だった。一人になるととたんにこれで。今までの恐怖が、考えないようにしていた恐怖が、一時におしよせてきたようだった。
 体にかかる毛布をぎゅっと握り締めた。体が震えていた。
(……助けて、ケシー……)
 別れた幼馴染の名をほとんど無意識に浮かべたとたんリシアははっとした。助かりたいのだ、自分は。言っていることが矛盾している自分が嫌になってリシアはそのまま無理矢理に意識を落とした。

 翌日の昼、やはり何事もなくセクックテドン港に入港した。入港してから船を下りる準備をしたので多少は遅くなったが、すぐに船を下りた。やはり、数人の男達に囲まれて。皆が皆一様の格好をしているものだから、昨日話していた男がどれだかリシアにはわからなかった。話した、という点で他の男達に比べ本当に少しだけ親近感を持ったのに。
 船を下りたとき、男の一人に背中を押された。
「何?」
「消せ」
「え?」
 何を、消す。
「この船を消せ。我々の情報が漏れては困る」
 声の調子で昨日の男だろうとなんとなく思った。
 背筋を冷たいものがすべりおちた。船を消す?中にはまだまだ大勢の人々が乗っているに違いない。船というものを壊すだけでない。人をも消せというのか。むしろ目的はそちらなのだろう。できないことはない。この忌々しい力があれば。けれど、リシアはそんなことできるわけないと必死の思いで首を横に振った。
「おまえは、ここにいる何の関係もない者と慣れ親しんだ者、どちらをとるのだろうな?」
 意地が悪い。悪すぎる。選べるわけはないのに。なのに。なぜカミギエルの前例を知ってしまったのだろう。この男達は平気でそれをやってのけるのだ。村一つ消すことなど造作もないのだ。冗談で流すことができない。
 胸の動悸が恐ろしいまでに速い。これまでで一番に。男達にも音が聞こえるのではないかというくらいに。
 涙腺が緩んで泣き出したくなった。人の重みを知っている。命の重みはそれ以上。吐き出す息が揺れる。
「早くしろ」
 ケシーの顔が、フースの顔が、村人達の顔が。浮かんでは消える。
 リシアは震える手で杖をかまえた。唇を切れるほどに噛み締める。目の前で起こる情景を見ていられないと思ったリシアは反射的に下を向くが、すぐに顔を無理矢理上げた。
(見ていないと。私が、奪った……)
 これ以上は考えられなかった。
 ゆっくりと人外の言葉をつむぎだす。一人でも多くの人に船から降りて欲しかった。
 しかしそんな儚い願いも空しく、詠唱は終わる。
「やれ」
 まともに呼吸できなかった。
「エクス、プロージョン」
 そのたった一言で。
 小さな小さな一言で。
 目の前にあった巨大な定期船は大気を、大地を揺るがす轟音と共にあっさりと炎に包まれた。
 リシアは足元がふらつくのを無理にふんばってそのまま男達に連れられ宿についた。いっそのこと下手人として誰かが自分を捕まえにくればいいと、リシアは思った。しかしそれも無理だろう。魔術は妖精がつかうもの。人間がつかうという前例は聞いたことがない。誰もあの爆発が魔術によるものだとは思わないだろう。
 夕食なんて食べる気が全く起こらずリシアはそのままベッドにもぐりこんでしまった。ずっとずっと、考え込んでいた。
 気がつけばもう夜だ。
 窓からは星が見えた。ちらつくそれを見ているだけで切なく、そして悲しくなってくる。
(私が、船の中であんなことを聞いたから?大声をあげたから?)
 彼らが情報がもれるといった理由。もしかすればそれは自分にあるのかもしれない。どんどん自責の念は強くなる。心が悲鳴をあげた。ガラスを引っかいたような嫌な声。幼い頃から抱え続けてきた古傷も一緒にうずいた。
(もうやだ。誰か私を止めてよ!ほんとに、ほんとに!殺したっていいから!!誰か!)
 夜は、闇となった。

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