1.灰に舞いし青


 二人が乗った船は、セクックテドンの真西にある無人島サードムーンを左手に見ながらネアローギ大陸パラグロフに向かうといったもので、若干危険も伴うが値段も安く移動も速いといった道のりだった。実際にはセクックテドンの東にあるオツフォルクレブ大陸を経由した方が安全なのだが、今は安全性よりも時間を重視したかった。安全性が低いといっても嵐などに遭って船が大破でもしない限りオツフォルクレブ大陸経由の安全性とはほとんど変わりない。ならばということでこちらを選んだのだ。
 パラグロフまでの二日と半日の行程のうち、一日目は多少湿気ていたものの何事もなく過ぎ、セクックテドンを出る前にケシーが感じた不安が現実と化したのは二日目の昼時のことだった。
 その日は前日よりも酷く湿気ていかにも嵐が来ますと言わんばかりだった。雲も墨を溶かし込んだような重たい色をしている。風も吹いてきたようなのでケシーは朝方一度甲板に出たきりずっと船室にいた。特にすることもなくベッドに寝転んでいたのだが、唐突に船が揺れてあわや床にたたきつけられるところだった。ベッドにしがみついてそれをなんとか回避したケシーはベッドから飛び降りた。甲板の方もなにやら騒がしい。
(ついに来たかな?)
 空の具合から見ても、いきなり突風が吹いて雨がざんざんと降ってきたというのが妥当なところだろう。しかしそんな簡単なはずの予想は見事に裏切られた。おそらくは悪い意味で。
 上の甲板にいたはずのフィービットが息を切らせて船室に飛び込んできた。
「嵐でもきたのか?」
「いや、嵐はまだきてない。といってもいつきてもおかしくはないがな。きたのは海賊だ。俺も初めてなんだが、どうにもでるらしい。今甲板で一戦やっている。加勢は多いにこしたことはない。俺はお前に教えるために一人二人なげとばしてきたが……、ああ剣も取りに来たんだ。お前もすぐに上に行け。油断するなよ。何人か事切れているのか重傷なのかっていうのもいたから無傷ではすまないかもしれない」
「あ、ああ……」
 ケシーも自分の剣を取り、フィービットの後を追うが心の中では相当に動揺していた。海賊なんていうものは想像にすらのぼっていなかった。まだ海のモンスターというほうがありえそうだと思っていたのに、よりにもよって相手が人間とは。
 甲板に出れば、剣戟があちらこちらから聞こえた。左横を見ればこの船と同等の大きさの海賊船と思しき船が接舷されていた。無人島サードムーンの岩陰に隠れていたのかもしれない。
 状況を確認している間にも、海賊が剣を振りかぶる。ケシーはそれを鞘で受け止めると、力任せに押し切りその間に剣を抜いた。フィービットも剣を抜き応戦を始める。
 力に言うほどの自信のなかったケシーはなるべく相手の攻撃をさけた。受け止めて押し切られては分が悪い。なにせ相手は筋骨隆々としている。反射神経の方がまだ自信があった。隙を見つけようとしたが、相手も手慣れているらしくなかなか見せない。
 避けるうちに壁際に来てしまったケシーはしょうがなしに一撃を受け止め、力のせめぎ合いを始める。相手の力のほうが強い。ケシーはそのまま力を横に受け流し、脇を抜けた。思った以上に上手くいき、左足を軸に振り返ったとき海賊の背中は隙だらけだった。
 チャンスだと思った。
 剣を振り上げる。
「もらっ……」
 言いかけて気付く。
 もらった。何を。
 命を。
(人の、命を?)
 ケシーの剣がとまった。
「うわあぁああぁぁあっ!!」
 隣で血飛沫が舞う。細かく降り注ぐ赤黒く鉄臭い、液体。少しケシーのほうにも降りかかる。水夫が海賊に斬られた。
 あれができるのか。
(できる、わけ……)
 迷いは隙を生んだ。
 海賊は体勢を立て直し、チャンスとばかりに口の端に笑みを浮かべケシーに斬りかかる。
 ケシーは慌てて我にかえり、受け止めるがタイミングのずれでふんばりがきかずあっさりとおしきられた。それでもバックステップで身を引いたのだが、周囲に気を配れず後ろにあった帆柱に気付かなかった。鈍い音をたて頭を強く打つ。
「つっ!」
 気を失いこそしなかったが、衝撃に両目を瞑ってしまった。次に、片目を開いた時、海賊が斬りかかってくる姿が見えた。到底防げそうもない。頭もくらくらするうえ、剣を上げる時間もない。距離はあと二歩。
(もう、ダメ……かな)
 体が動かない。諦めるしか、ないのか。
 それは絶対に嫌なのに。
 あと、一歩。剣が。
 その時、いきなり目の前が恐ろしいほどの、真っ白な光に包まれた。瞬間、音はなかった。
 次いで天にまで轟くほどの音が耳元で爆発した。
(何が、起こって……?)
 光が失せ、まだちかちかする目で見た光景は。
 黒焦げになってピクリともしない海賊、焼けた甲板、残る熱。光と考え合わせれば落雷したと考えるのが妥当だが、帆柱というちょうどよい避雷針があるのに都合よく海賊の上に落ちるだろうか。それに雷の気配はまだない。
 何が起こったのかと、恐らくは空からやってきた光の軌跡を確かめるようにケシーは視線を上にやった。
 目に付いたのは重たいの雲の中を鮮やかに軽やかに舞う青い、鳥。
 青い、鳥。
 距離はつかめないが相当に大きな、青い、鳥。
 青い怪鳥。
 ケシーは我も忘れて叫んだ。
「リシアッ!リシア――ッ!!」
 届かない。わかっている。この距離だ。届くわけもない。それでも。あれは。
 他では見ぬ、青く美しい怪鳥。都合のいい落雷。モンスターと偶然では片付けられない。
 ケシーの叫びも空しく怪鳥は、タルーアは遠ざかっていく。おそらくは主人を乗せて。
 ポツリ、と頬に雨が伝った。ぽつぽつと雨は勢いを増していく。
 嵐が来たのだ。
 海賊達は謎の落雷もあってか見る見るうちに撤退していく。
 ケシーは雨を降らす雲に、空に、しかし事実どこにも目を向けずただ目を見開いて忘我の状態にあった。
 倒錯する思い。絡み合う考えという糸。ほどけない。
 ケシーを現実に引き戻したのはフィービットの手だった。肩にぽんと置かれた手。
「とんだ災難だったな。でもなんとか航海は続けられるらしい」
 何の反応も返さないケシーの様子がおかしいことにフィービットはようやく気づき、顔を覗き込んで声をかける。
「どうした?ぼうっとして。とにかく雨も降ってきたし荒れそうだ。中へ入ろう」
「……ああ」
 生返事を返しながら、様々な傷跡を残した甲板から船室へと降りる。頭の中はただリシアのことで一杯だった。

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