2.悔しさと苛立ちは


 船室に戻ってもケシーはずっとぼうっとしていた。無口なケシーにフィービットもすっかり閉口してしまっている。よって室内は妙に重苦しい沈黙が支配者として降臨していた。
 フィービットが支配者への挑戦を試みる。
「ケシー、ほんとどうしたんだ?怪我でもしたか?あれからお前ずっと変だぞ」
 支配者は意外にもあっさりと打ち倒すことができた。ケシーはゆっくりと口を開いた。
「……こんな無力な自分にさ、一体何が出来るんだろうって、考えてたんだ」
「無力ったって。お前は無力じゃないだろう?しっかり応戦していたじゃないか」
「違う。だって、結局俺は人を殺すことにためらって、殺されかけた」
「でも殺されてない。それに殺すのをためらうのは当たり前だ。当たり前に人を殺していい訳がないだろう」
 余計に言葉がケシーにのしかかった。人を殺していい訳がない。それはそうだ。当たり前だ。当たり前だからこそ。
「俺が、殺されなかったのは、実力とかそんなんじゃない」
 当たり前でないことを、ケシーは、彼女に。リシアに。
「リシアが、リシアに、助けられたんだ、俺は」
 やらせてしまったのだ。
 声が震える。
「リシアに、人を、殺させてしまったんだ」
「……その、リシアという人に会えたのか?」
「会えなかった。でも、リシアなんだ。俺は、またリシアに助けられた!」
 ケシーは声を荒げた。
 例の野宿の時だって知らずのうちに助けられていたのだ。守られていたのだ。そして、また。今度は幼馴染に人の命まで奪わせて守られてしまった。リシアがあの力で人を傷つけることをどれだけ嫌っていたか知っていたのに。可哀想なくらいに萎縮していた彼女を知っていたのに。
 悔しかった。なぜこんなにも無力なのだろうと、それがただ悔しかった。
「くそぉっ!!」
 力いっぱいに船室の壁を拳で殴る。じんとした痛みが走る。しかし、こんな痛みで足りるものではない。
 ただ悔しかった。
 フィービットも黙ってしまって、ついぞ眠るまで一言も発さなかった。空模様以上に重たい沈黙だった。この支配者は倒せない。
 空が荒れる。海が荒れる。激しく揺れる船。それは悪夢へと追いたてる。

 翌朝、頭がくらくらした。おそらくは船酔いというものだろうとケシーは見当をつける。揺れが非常に気持ち悪い。フィービットに進められて甲板に出ると少しはましになった。空は台風一過の大掃除の後の青空だ。随分乱暴な掃除だったなと毒づきながら思う。気持ち悪いことこの上ない。吐いてしまえば楽になるぞ、といわれても吐く気にはならない。そこまで切羽詰ってはいないからたいしたことはないのだろうけれど生殺し状態だ。
「気持ち悪ぃ」
「昨夜は揺れたからな」
「フィービットは大丈夫なのか?」
 ささくれだった船の舷の縁によりかかりながら視線だけ上げて尋ねる。しかし、失敗したと思った。眼球を動かすと結構酔いに響く。やめればよかったと思っても後の祭りだが。
「あまり酔わない体質らしいからな。まだ船で酔ったことはない。嵐は初めてだったけどな」
「うわー」
 羨ましい限りだった。この酔いも陸にあがれば止むだろうか。
 そう希望して進行方向を見れば、陸が見え、港が見えた。
「港だ!」
 世界で一番大きな都、ネアローギ大陸パラグロフの港が眼前に迫っていた。

 ケシーの考えは大体にして甘い。
 陸にあがろうと酔ってしまったものは酔ってしまったのだ。むしろ酷くなっている感じすらした。足元が揺れている。硬い地面を踏みしめているはずなのに。まだ海上にいるようだ。問えば、フィービットも足元はふらつくらしい。しかし酔いがないだけましだ。
 しかし、目の前に迫った大都市を前に酔いは瞬間どこかへ吹き飛んでいった。
「うわー」
 甲板で発した同じ音とはまったく違う声色で、純粋に感嘆の色をにじませケシーは目を見開いた。
 大きい。
 一言に尽きる。二言にしたいならば大きいと美しい。
 白い石造りの街並みは果てが見えない。出口を捜すのに一日ほどかかってしまいそうな、規模。ラッカンスやスーワルンは言うまでもなく、アーノだって目ではない。アーノすら田舎に見えてくるほど壮大な都市。
 青い海とくれば白い砂浜だが、白い街並みも悪くない。むしろコントラストはよりはっきりとし美しい。
 その大きさに、美しさにただただ気分が良くなる。思いきり伸びをした。完全に酔いが消えたわけでもないが、かなりよくなったような気がした。
「でも、ついたはいいけどここにリシアはいないよな……」
 昨日すれ違ったのだ。今ごろ違うところにいるに違いない。タルーアに乗ってはいたが、降りてこなかったことを考えれば逃げてきたわけでもないようだし、まだまだ捜さなければならない。ただタルーアに乗られたとなっては、行方はつかめないに等しい。
「まあ、でも地味に後を追うしかないんだ。俺たちは行く先を知らないんだから。ただ、その、なんだ?よくわからんが大きな怪鳥と彼女の所有物に移動手段を変えたところを見ると一度どこだかの拠点かなにかについたのだろうな。拠点はこの大陸にある可能性が高い」
「そう、だよな。でもなんでここを拠点にしたんだろう?」
「さあな。大きいからだとか」
「かも……しれないけど、なんか違う気がするなぁ」
 もっとなにか、意味が。
「まあ考えたってわかるわけもないさ。さて、これからどうする?絶対宿には手がかりは残さんだろう。また、セクックテドンのときのやるか?」
 フィービットの語調には明らかに冗談、というものが混じっていたが、ケシーは思わずげんなりした。あれの果てしない効率の悪さを身をもって知っている。午前中は朝からずっと続けていたのにほとんどからぶりで、酒場のことを聞き出したのが正午の頃。しかしまだ開店していなく待つこと日暮れまで。酒場にようやく入れたと思っても、リシアのことがわかったのはすでに夜夜中。丸一日かけて、ようやく行き先がわかった。
「ここって、明らかにセクックテドンより大きいじゃないか。天下の大都市パラグロフだろ。セクックテドンで丸一日かかったんだ。それも結構、運が良かった気もするし。ここはどう考えても……」
 一日二日で終わるとは思えなかった。終えられたならばそれは恐ろしいほどに運がいい。この切羽詰った状況下に置いて希望的観測は危険だ。もっともあまりに悲観的になりすぎるのもまた困り者である。冷静さが必要とされいてた。
「そうだな。どうする、何かいい案はあるか?」
 唸るがなかなかいい案というのは浮かばない。利用したと思われる機関については口止めされているおそれがある。その脅しを信じるかどうかはわからないが、それにしたって見ず知らずの人間に命を預けるような者はいないだろう。黒ずくめたちの格好はあからさまに怪しいから信じないといったところで、念のため、とセクックテドンの時のように話してくれない可能性は高い。
 次にセクックテドンでやった聞き込みだが、効率の悪さにより即刻否定。
 他に何かあるものなのか。
(えーっと、直感とかだと外した時痛いし、地道にやるのも時間かかるし。どうにかして足取りを追う方法……足取りを追う?なんでパラグロフは聞き込みがダメなんだ?やる気が起きないんだ?セクックテドンの時はどうにかやったのに。それは、パラグロフが大きすぎるからだろ。っていうことは、つまり……)
 珍しく頭が回ったと思った。ただ、思い込みかもしれない。セクックテドンの時も、聞き込みがいい方法だと実際にやるまで信じて疑わなかったのだから。
 自信のない声でぽつぽつとケシーはフィービットに話し掛けた。
「なぁ、フィービット。お前、ネアローギ大陸のことどれくらい知ってる?例えば、町や村の場所とか」
「ん?……そうだな。そこそこ大きい町の名前とおよその位置くらいならわかる」
「そっか。じゃあもう少しこの大陸のこと知る必要があるな……」
「何かいい方法があったか?」
 うん、と生返事にうなずいて、自分に聞かせるようにケシーは続けた。
「こんなでかい街で聞き込みしても埒があかないってことはさっきも話してたけどさ、もっと規模の小さい町や村なら目撃情報くらいあるんじゃないかなって思ったんだ。モンスターも出るんだろ?このパラグロフが拠点じゃない限り、どこかに移動する時、絶対に町や村に立ち寄ると思うんだ。で、もしパラグロフの周辺の町とか村で聞いても何にもわかんなかったら、パラグロフを拠点にしてる可能性が高いから、何かまた別の方法考えるか、聞き込むか」
 なるほど、声に出して説明するのはなかなか良かった。考えるだけでは思い浮かばなかった、もしパラグロフが拠点ならば、なんていう仮定もすることができた。そしてあまり穴があるとも思えない。近辺に町や村があるかはわからないが、あってもおかしくはないだろう。近ければ移動にもきっとさして時間はかからない。やってみる価値はありそうだ。
 フィービットもうなずいた。
「一理あるな。どこかの雑貨屋に大陸の地図でも買いにいくとするか」

 中央に据えられた噴水は嵐の後の爽やかな陽光を反射してきらきらと光を撒き散らしていた。白い石敷きと植えられた緑が美しい公園の隅のベンチでケシーは買った地図を広げた。ネアローギ大陸全域が載っている。東西に長く延び、三つの島が繋がって出来たような形をしていた。今ケシー達がいる一番西の島ともいえるところが一番大きく、それひとつでもワーイス大陸より大きい。世界最大の大陸だ。そして、と西の島の東南端に目をやれば大きくパラグロフの文字が見える。世界最大の大陸にある、世界最大の都市。その名に恥じない様相をしている。更に周囲に目をめぐらせた。
「雑貨屋のおばちゃんが言ってたのは、トェモとハープスとリードルグだったな」
 横からフィービットが覗き込み、地図を買った際に雑貨屋の店番をしていた女性に聞いた、パラグロフ周辺のたいして大きくない町、村の名前をあげる。 
 ケシーは地図の上にその文字を探す。
「えーっと、トェモがこれだな。で、ハープスがこれで、リードルグは……」
「ここ、だな」
 フィービットが指し示した場所にケシー印をつける。トェモはパラグロフの北東に位置し、ハープスは南西、リードルグは北西に存在している。パラグロフからの距離は、ハープスが一番近く、トェモとリードルグはそれぞれ等距離といったところだ。
「何処から行こうか。トェモ、ハープス、リードルグの順番かな」
 単に店の女性が言った順番だ。順番なんてたいして気にしていなかったのでこれでいいかとも思ったのだが、フィービットが否を唱える。
「あまり賛成できないな」
 改めてフィービットは地図に視線を落とした。
「ハープスから行くべきだろう。さっきもお前が言ったように、このあたりはモンスターが出る。奴等も施設は利用しないにして、村の中にくらいは入るんじゃないか?ハープスを経由していないならば、おおよその確率でトェモ方面、つまり大陸の東に行っているだろうし、経由しているならば」
「大陸の西に向かった可能性が高いって言うことか!」
 やはり彼は頼りになる。ケシーはあともう一歩足りないらしい。
「その通りだ。ハープスは近いしな。半日とかからず行けるだろう。時間の無駄にもならん」
「なるほどな。ハープス通ってたんなら、次はリードルグかそれよりも西の町目指せばいいんだし、通ってないんなら引き返してトェモに向かえばいいのか。ほんとだ、これが最短だ」
 ケシーは眺めていた地図をたたんだ。そしてベンチを立ち上がる。パラグロフのこの位置からならば、ハープス方面に抜けるのは楽なはずだ。きっと日が出ているうちにハープスにつけるだろう。
「それじゃあ、行くか」
「もう船酔いはいいのか?」
「うん、ふっとんだ」
 例え酔っていても出たいところだ。時間は進むのだから。今は寄り道しても前進するしかないのだから。

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