3.いるはずのない人


 ハープスへは海岸線に沿っていけば迷うことなくつける。そして距離もたいしてないので早くつける、はずなのだが。
「腕、痛い……」
 剣が重たかった。モンスターの襲撃回数が異常に多い。セクックテドンの平原の安穏さが信じられない。倒してはまた出現し、倒してはまた出現しとなかなか先に進めない。それでももう半分以上は歩いたはずなのだが、すっかり疲弊してしまっていた。
 難なく倒せるには倒せるのだがいかんせん数が多い。あとからあとから湧いて出る。どこか近くにモンスターの水源地でもあるかのような勢いだ。
「ケシー、また来たぞ」
「また、かよ」
 重たい腕を上げる。真剣は思ったより重たい。慣れたと思ったのだが、使いすぎるとすぐにこれだ。毎晩寝る前にやっている腕立て伏せの回数を増やそうかと真剣に考える。
 とりあえず楽に勝てる範囲だからいいが、もっと強いモンスターだっているだろう。お目にかかったことがないだけで。あまりお目にかかりたくもないが。
 もはやとどめを刺すのも面倒なので金に困っているわけでもなし、半殺し程度にしてそそくさとその場を離れるようにしていた。回避できる戦闘は回避する。今の教訓だ。
「まだか、ハープス」
「もうすぐのはずなんだがな」
 日が暮れようとしている。横目に壮大な夕焼けが、前方の海の上に広がっているのをみる。海を、空を赤く染め、雲は黄金に輝きと感動したいところだが、疲れすぎて感動する余力も残っていない。
(こんなんで大丈夫かな)
 内心でため息をついた。
 がさりとわき道で気配が動き、目をやれば飛び出してくるモンスター。
 ぷっつりと頭の中の何かが切れてしまいそうだ。
「いいかげんにしろーッ!!」
 とりあえず同じ型のモンスターと戦いすぎて勝手に覚えてしまった急所に一発叩き込むと動かなくなる。
「手慣れてきたな」
「なんかあんまり嬉しくない」
 一応剣を鞘にしまって二人は再び歩き始めた。

 遂に日は暮れてしまった。日が出ているうちに絶対につけると思っていたのに、進行方向の西の空にかすかに赤味が残っているだけでもう空は夜の藍だ。薄暗く、モンスターの襲撃もわかりづらくなるうえ彼等は夜行性のものが多い。更に数が増えると、と考えるだけで嫌になる。フィービットの話によれば、海のモンスターというのは確認されていないようなので、ぎりぎりの海岸線に沿って歩いた。といっても海岸線は断崖絶壁、多少の距離はおいていたが。とにかくそうすれば、攻撃される側面は右側だけになるのでそちらに気を払っていれば良くなる。
 夜が深くなるにつれ、強いモンスターもぽつぽつと出現し始めた。体力温存のため、なるべく全ては戦いきらない。適当なところで離脱する。
 そうこうしているうち、ようやく村の明かりが見えた。空はほとんど黒に近い。
「よっしゃあ!」
「ようやくついたな。今日は情報集めはやめにしてとにかく宿をとるか」
「ほんとだよ。泥まみれに返り血まみれの砂埃まみれだ」
 しょうがないことなのだが、やはり動物系モンスターは血が通っているので切れば必然的に血が出る。まだそれをかわすだけの技術は持っていない。もっともだんだんと手慣れてきてなるべくよけるようにはしている。凄惨というほど付着してはいないものの気持ちが悪いのには変わりない。
 村が近くなってからはモンスターの襲撃もなくなった。人里近くにはやはり生息しづらいらしい。
 村に一歩足を踏み入れたときはとてつもない安堵が胸に込み上げた。家々から夕食の匂いがする。生活のにおいがする。
 パラグロフを出てから半日と少ししかたっていないのに妙にそれが懐かしかった。どこかラッカンスに似た雰囲気を持っていたからかもしれない。
「それにしてもモンスターの数が異様に多かったよな。ってか、なんでモンスターがいるんだよ。なんだっけ、伝説では勇者様に滅ぼされたとか何とか」
「あれは昔話だろう?モンスターか。なんでも十数年前に現れ始めたというが。俺もワーイスの出身だからよくわからん」
「ふーん」
 そんな会話もようやく落ちついて出来たというものだ。
 村の中央にはちょっとした広場があった。中央はおそらく子供が駆け回れるように何もなく、広場の円周上にはベンチがぽつぽつと置いてある。どこにでもあるような質素な広場だ。セオリーとして宿はこの付近にあるのではないだろうか、とケシーが首をめぐらせていると、広場の隅に人影を捉えた。ベンチに座っている。薄暗くよく見えないが、女性のように思われた。
 見極めようと目をすがめるが、結局はわからずじまいだ。かといって近寄るのもなんだかためらわれて、ケシーは疑問を口にした。
「あれ、女の人?」
 フィービットはケシーの向いている方に顔を向けると、しばらく暗闇を見つめて言った。
「ん?ああ、本当だ。こんな時間にどうしたんだろうな。ちょっと危ない気もするんだが」
 そして、注意するつもりなのかフィービットは人影の方にむかう。ケシーも後からついていく。薄暗い。
「あの、どうかされましたか?夜は危ないですよ」
 女性は顔をあげない。随分と暗い雰囲気をまとっていた。気落ちしているのが伝わる。夜の、全てを無色にするフィルターががさらにそれを誇張する。遠くから漏れる家の明かりでかすかに髪の色がわかるくらいで、あとは濃淡しかわからない。
 そして女性は今にも泣きそうな声で小さく言った。
「知人の、知人の安否を気遣っているんです。大丈夫、もうすぐ帰りますから……」
 その声を聞いたとき、ケシーは青い瞳をいっぱいに見開いた。頭を鉄製のハンマーでなぐられたような衝撃が体全体を襲う。
 その声は。
 忘れられない、すっかり身にしみた、その声は。
 十数年を共に過ごした、その声は。
 ここにいるはずのない、その声は。

「……あ、姉……貴?」

 ケシーの呟きを聞いたとたんに女性はばっと顔をあげた。金の髪が揺れる。
 フィービットの後方にいるケシーを、暗闇の中で判別するようにじっと見つめる。家の暖かな橙の明かりが差し込んだ、ケシーと同じ青い瞳から、涙が一筋流れ落ちる。綺麗に光を反射した。
「ケシー?あなた、ケシーなの?」
 ギルバーツに攫われたはずの、ケシーとリシアが旅に出るきっかけとなった、ケシーの姉、ラナケアだった。

 お互いにわけがわからぬまま、とりあえずラナケアが世話になっているという老夫婦の家に場を移した。
 生まれたばかりの赤ん坊もいるということで、親切にも村の近くで倒れていたラナケアの面倒を見てくれているという。内輪の話になりそうだったので、今この場にはいないが、気のよさそうな二人だった。笑顔が優しい。
「どこから話せばいいのかしら?」
 ラナケアはちらとベッドですやすやと眠る赤ん坊に目をやる。
「そういえば、ケシーは初めて見るのよね。あれが私の娘のルア。生まれたばっかりで、まだ誰に似てるともいえないけどね」
 うん、といってケシーはじっと姪をのぞきこむ。この子に会いに行こうとして、とんでもないことに巻き込まれた、否つっこんでいくことになったのだ。なかなかなめぐり合わせだ。もしこの子が生まれていなかったならケシーたちはあの街に行っていなかっただろうし、そうすればこんなことに首をつっこむこともできなかっただろう。この子が呼んだのかもしれない。
 どこから話そうかずっと考えあぐねているラナケアを見てケシーは言った。
「まずさ、何で姉貴はここにいるんだよ?どうやってここまで来たんだ?逃げ出したのか?どうやって?」
「待ってよ。私にも訳がわからないんだから。ただ……」
 ラナケアの顔には明らかな疲れの色が浮かんでいる。声に力もない。いつもの調子でない彼女に正直ケシーも困惑していた。それは誘拐されていたのだから疲れが見えるのもしょうがないのかもしれないけれど。
 ただ、といったきり続きをためらって話そうとしないラナケアに先を促す。歯切れが悪い。
「ただ、なんだよ?」
 ラナケアは意を決したように小さく息を吸い込むと覇気のない声で言った。
「……ただ、私がここにいること……ううん、いられること、これは、全部……のおかげなの」
 最後の方は声が震えて、小さく聞き取れなかった。しかし、嫌な予感は胸を走り抜ける。
 想像してしまう。
 何が、誰がラナケアをここにいられるようにしたのか。逃がした、あるいは組織に手放させたのか。
 喉が渇いた。
「私のせいで……っ!無事かどうか心配で、どうか……どうか無事でいて、リシアちゃん」
 嗚咽混じりに吐き出されたその名前を聞いたとき、ケシーの胸はつまった。

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