3.消えたリシア


 久しぶりに見た青い髪の毛や緑の瞳は、記憶に残っているものと寸分違わなかった。目の前にいるのはリシアに違いない。黒ずくめの男も隣に立っている。監視役だろう。そしてさきほど巨大なナメクジに放たれた炎はリシアの魔術のはずだ。
 どこをどうとっても、目の前にいる彼女は幼馴染のリシアなのに。
 少女は半眼で上目遣いに二人をにらみつけた。そしてどこまでも冷たく言い放つ。
「なんじゃ、お主らは」
 きっと、さきほど彼女に消されたナメクジと同程度にしか思われていないであろうその口調。
 ケシーの知っているものではない。少女もケシーのことを、知らない。顔が驚きを表したままで固まる。フィービットは怪訝そうな顔をするだけだ。
 黒ずくめが少女の問いに答えた。
「そっちの金髪の方はケシー・スィンドとかいう奴だ。もう一人は知らないがな」
「その金色の方はこの娘の知り合いか?」
「そんなところだ」
 ふむ、と少女はうなずく。少女は黒ずくめに送っていた視線をケシー達の方に戻した。先ほどのような、あからさまな敵意は向けられていない。
 しかし、そんな些細なことにケシーはかまってはいられなかった。交わされる会話についていけない。果たしてこの目の前にいる髪の青い少女はリシアなのか、リシアでないのか。双子でも見ているような気分だった。
 確かめようとおそるおそる口を開く。
「リシア……なのか?」
「ああ」
 少女は軽やかに答える。声はリシアのものなのに。出てくる言葉は。その表情は。
「そうじゃ。体は、な」
「体は……ってどういうことだ!?」
 体はリシアの「何か」は挑発的な笑みを濃くした。
「この娘の精神はわらわのものじゃからのう」
「な……」
「あまり勝手なことを話すな」
 絶句しているケシーを尻目に黒ずくめはただ制止をかける。「何か」はしかし、意にもかけない様子だった。黒ずくめは小さく舌打ちする。「何か」は喉で軽く笑うと、よいではないかと続けた。
「どうせあの下等生物のようにこいつらも殺るのじゃろう?最期に知ることの出来ることだけを知り、死に追いやるというのもまた一興。無念は濃いぞ。ははは、愉快じゃな!さぁ、人間どもよ何が聞きたい?」
 声を立てて(わら)う「何か」の顔は狂気じみていた。
 頭が働かなかった。リシアがリシアであってリシアでないなどと、わけのわからない事態にケシーは混乱していた。何が聞きたいかなどと聞かれても、わからない。わからないことが多すぎて聞くことなど出来ない。
 微塵も動かないケシーを見たフィービットは、リシアを知らないこともあって冷静に「何か」を見据えた。
「人間ども、と言うからには、お前は人間ではないのだな」
「無論。わらわはサリオル。おぬしらの言葉でいえば、モンスター……魔族といったところか」
「モンスター……だと?」
 フィービットは眉をひそめる。
 ケシーも一拍遅れて反応した。
「モンスター?モンスターってさっきのナメクジみたいなのとか、なんか岩が動いたりする……あれ?でも、しゃべって」
 しかし目の前にいるサリオルと名乗ったモンスター、魔族は言語を解し、しかも人型だ。モンスターの常識にはあてはまらない。自分が知らないだけかとも一瞬思ったが、放浪していたフィービットでさえ怪訝そうな顔をしている。どうやら人型というのはそうそうお目にかかれないらしい。どういうことなのか。わからないことだらけなのに更に増えるわからないこと。頭の中の整理が追いつかない。
 サリオルは機嫌を悪くしたのかあからさまにぶすくれた。案外と表情は豊かだ。ますますもってモンスターとは思えない。
「わらわをそこらの下等なものと共にするでない!お主らは何かを根本的に勘違いしておるな。わらわの住まう……魔界とでも称そうか、そこにも上下関係は存在する。お主らがモンスターと呼んでいるものは、いわば動物のようなもの。わらわたちはさしずめ人間といったところか。人間などと並び称されたくはないがな。さて、他に疑問は?疑問はないままに死に逝ったほうがよいじゃろう?もっとも、心残りは増えるやもしれんがな」
 サリオルの挑発的なものいいにぐっと奥歯をかむ。ここで挑発に乗ってもいいことはない。どうにかしてリシアを取り戻す。その上でこの魔族に勝てば、情報も引き出せて一石二鳥だ。せっかく話してくれるというのだから聞かない手はない。
 動揺を必死に抑えてケシーは低い声で問うた。
「リシアをどうしたんだ?」
「どうした、とな?まあ一言でいえば、消えた、な」
 口の端を吊り上げてサリオルが何事もないかのように告げる。
 抑えていた動揺はケシーの意に反してふたたび(うごめ)き始める。
 消えた。簡単なその語の意味を思い出すことが出来なかった。消えたとは、どういう意味だったか。キエタと文字が頭の中で踊る。嫌な夢でも見ているような。
「一つの体に、精神は二つもいらぬ。この娘もそれを望んだ。望まれわらわはここにおる。おかげで最大限に力を使える。幸いにもこの娘、わらわたちと似たような力を使い慣れておる。このように、な!」
 唐突にサリオルの右手に炎が宿った。それは球の状態に収縮していき、炎が赤の色を忘れ青みを帯びた白になったとき、サリオルがその火の球を投げつけるようにした。高温のそれは恐ろしいスピードでケシーたちのいる方に一直線に飛んで来た。
「何ぼーっとしてる!」
 フィービットの声にはっと我に返った時には、火の玉は目の前、といっても差し支えないほどに近づいていた。そして肩のあたりに横から衝撃を感じ、そのまま足がもつれてしちもちをついた。炎は目の前を通過していき、奥の壁にぶつかって消えた。どうにも今横にいるフィービットが肩をひっぱって倒してくれたらしい。
 フィービットが険しい表情で言った。
「お前は何をしてるんだ!」
「……ゴメン」
 一応謝ってはみるものの、どうにもまだ意識が現実から剥離されていて胡乱げになっている。
 フィービットはそんな様子を見ると一つ息をはき出した。
「わからんでもないがな……」
 ケシーは一応立ち上がるが、どうにも頭の中は雑念で一杯で目の前の戦いに集中できない。というよりも戦う気すらも起きなかった。
(どういうことだよ……。リシアが、消えた?もういない?それを望んだって、一体?)
 隣でフィービットが舌打ちするのが聞こえた。
「またくるぞ、ケシー!」
 次いで来たのは、地面からだった。地面が盛り上がりを見せ、ケシーの目の前で爆発するように盛り上がった。危うく巻き込まれかけたが距離が外れていたのか当たらない。
 サリオルが呟いた。
「まだ考え事をしておるのか?無抵抗な輩を殺した所で面白くも何ともない。金色の、何を考えておる?」
「消えた……って、どういうことなんだ。なんでリシアをのっとんなきゃいけないんだ……っ」
 サリオルは口もとに手をやると、しばし瞳を伏せてから答えた。
「そうじゃのう。わらわたちは我等が魔界と、この世界を仮に人間界とすれば、人間界とで存在の仕方が違うのじゃ。こちらの世界では実体をもたぬただの思念体と化してしまう。わらわのような高位の魔族であってもな。だから、人間界に実体を持っておる、何かをのっとるのじゃ。お主たちが良く見るモンスターというのは、つまりは動物やら岩やら木やら、何でも良いがそれらを魔族が乗っ取ったものということじゃ。のっとりやすいのは、意思を持たないものや、また意思の力が弱いもの。無機物や小動物などじゃな。意思の力が無駄に強い人間に憑依するのは、高位魔族であっても難儀なこと。無理に憑依したところで魔族としての力は出しきれぬ。しかして、人間の方が、小動物などよりも強いことは明らか。武器などの扱いにも長け、この娘のように術を使えるものもおるようじゃしな。だから今度の取引は随分とわらわにとってもおいしいものじゃった。何せこやつらの実験台として、わらわがこの世界に降り立つだけでよかったでな。あとは好きにして良いとのことじゃ。全く、運のいいことこの上ない。わかったか?小僧。この娘の精神などとうに果てておろうよ!」
 再び口に出されたその言葉。もう、リシアはいないのだと。体を使っている本人が言っている。動揺させる作戦なのかもしれない。けれど、作戦であったところで一体、どう体を傷つけずにこの魔族を倒せばよいというのだろうか。
 消えたはずはない。きっとなんとかなる。
 今この魔族に立ち向かうにはそう信じるしかなかった。

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