5.信じた戦い-2-


 フィービットの方は中央を堂々と駆けておとりの役をなしていた。ケシーはごつごつした岩肌の壁際をなるべく目立たないように進む。おそらくサリオルはあの障壁があるから多少はもう一方に対して油断しているはずだ。ただ最後には、障壁の際まで来たならサリオルの、眼前に跳び出さなければならない。
 ケシーが疑問に思ったこと。それはサリオルが魔術を放つ時だ。障壁があるというのに火球はあっさりと通っていた。もっと前から見えない壁があるとすれば、水や風の刃もこれに同じだ。それはおかしい。それでは障壁の役割をはたさないのだから。はじかなければならないものが素通りするのは、やはり疑問に思うところがある。
 ならば、その魔術が通る時、そこには空隙ができているのではないか。もしくは障壁全体が一度取り去られるか。
 どちらにせよ、魔術が通る瞬間に、危険を伴うがその隣に飛び込めば障壁を潜り抜けられるかもしれない。そこまで近づければしめたものだ。あまりに近づきすぎれば向こうとて大きな魔術は打てないだろうし、こちらも詠唱の中断や、障壁にまわすくらいの集中力を途絶えさせることはできるだろう。障壁が消えれば、フィービットもこちら側へ来られる。黒ずくめがどう動くかはわからないが、彼はまだ全くと言っていいほど動いていない。サリオルに余裕があるからだろうが、しかしわからない動きを予測した所でどうにもならない。障壁さえ取り払ってしまえば二対二。サリオルは接近戦に持ち込めば負ける気はしないし、黒ずくめに関してはどう動くか、の結論と同じ考えだ。
 ケシーは壁際の、さきほど弾き飛ばされたあたりのぎりぎり一歩手前だろう、というあたりまで来ていた。剣はおさめてある。
 あとは、フィービットがなるべくこちらよりにいるとき、サリオルが魔術を放てばよい。ケシーはじっと待つ。フィービットには悪いが、こちらも相応の危険は冒すつもりだ。おあいこということにしておいて欲しい。
 ケシーは呼吸を整える。タイミングを違えてはならない。
 一つ。
 二つ。
 三つ。

 ……来る。
 ケシーはフィービットの眼前よりも若干斜めの位置に跳び出した。
 サリオルが火球を放つ。どこかで胸をなでおろした。見えるものならばわかりやすい。
「ケシー、何やってる!」
 フィービットの声は気にしない。気にしていられない。火球はこのままなら自分のかろうじて横を通っていくだろう。その瞬間になんとかして飛び込めばいいのだ。それだけ。火球の飛んで来る時間がやけに長く感じられた。
 今だ。
 ケシーは意を決して、跳びこんだ。はじかれぬことを祈って。
「何!?」
 サリオルの声があがった。
 ケシーは地に転げ落ちるように着地した。サリオルの慌て具合から見て恐らくは突破したのだろう。新たな結界を張られる前に。ケシーは立ち上がり、剣を抜く。せめて、動きを止めればいいのだ。発動させないようにすればいい。その後のことは、また後で考えればいい。
「っりゃあ!」
「くっ!させるものか!」
 サリオルの手に火が浮かぶ。収束する。あと、五歩。
 間にあえ。
 駆ける。三歩。
「はっ!」
「ケシー!!」
 サリオルの声と共に火球が、手から離れる。
 間にあわなかったのか。
 フィービットの声が聞こえる。

 昔の、ずっと昔の光景が頭を過ぎった。飛んで行く、火の玉。制御されていなかったそれは一人の男の元へ飛んで行った。
 ケシーは腕を前に出し、瞳を閉じた。

 しかしこの距離で、外れるはずもないこの距離で、いつまでたっても衝撃はこなかった。
 腕をそろそろと下ろし目を開く。ただ、静かな光景が目の前に広がっている。戦闘など行われていなかったとでもいうような、静かな光景が。
 サリオルの瞳は、リシアの緑の瞳は、大きく見開かれていた。
「制御、が……きか、なかった?」
 サリオルは自分の手を強く見つめる。
 ケシーも驚いていた。あんなにも術を使いこなしていたサリオルが、この距離で外すなんて、考えられなかった。制御を失った所ではずす距離ではない……例えば「何か」の力が、働きかけるようなそんなことでもなければ。
 まさか、と考える。信じられないが、信じたい可能性。
 まだいるのではないか。リシアは。
 思わず口をついて出た。
「リシア、いるのか!?」
『……る、いるよ!』
 はっとケシーは顔をあげる。今、確かに聞こえたのだ。サリオルが、今発しているもの以上に聞きなれた声が。リシアの意思があわさった声が。耳が捉えたのではなく、頭に直接響くような声が。
(そっか、いるのか……。だよな)
 こんな時だというのに思わず苦笑を漏らす。まだ問題の解決には程遠いというのに安堵がどっとおしよせた。動きを止めていた思考が、静かに活動をはじめた。
 その声はサリオルにも聞こえたらしく、ケシーとは真逆に更なる動揺を促す。
「そんな、馬鹿な。あの小娘を、あんな小娘をわらわがまだ支配しきれていないと……馬鹿なッ!」
 サリオルは再び術を放とうとするが、ケシーは剣の切っ先を突きつけ、動きを止めた。青い眼光で睨みすえる。強く。
「動くな」
「ふ……動くな、と?お主にはわらわは斬れまい?どうやら、この娘の精神はしぶとく居残っておるようじゃしな。精神の器である肉体を壊してまで生きていけるわけがなかろう。お主は、わらわを斬ること叶わぬ!」
 サリオルは術の発動のためか腕を動かした。ケシーは、その腕を、静かに薙いだ。骨に達するほど深くではない。しかし浅くもなく、薙いだ。
 サリオルの動きを注視しながら、それでも心から謝罪の言葉をつむぐ。
「ごめん、リシア」
『ううん。乗っ取られちゃった私が悪いわけだし、私が痛いって感じるわけじゃないみたいだし。気にしなくっていいよ。そのかわり、私が無事だったら責任とって貰いますからね。乙女の柔肌は安くないんだから』
「ハイハイ」
 ケシーは少し笑う。懐かしい。何年も離れていたわけではないのにそう感じる。
「ふざけるな!」
 サリオルは更に動こうと試みるが、ケシーは更に静かな顔で足を薙ぐ。剣の先に細く血が舞う。
 ぐっと唸ってサリオルは地に膝をついた。やはり接近戦では有利なようだ。
 しかし、と考える。傷つけるまでならきっとなんとかできる。
 リシアがいると知ってしまったのは、頭を冷静にもしてくれたが、また迷いも生んでいた。
 本人がいるとわかった以上、どうしても望みにすがりたくなる。
 唇を噛み締めた。こればかりは本人に言うことが出来ない。聞くことなどできない。なまじ色よい返事が返ってきたらどうすればいいかわからない。
 サリオルは地に膝をつけたまま上目でケシーを睨み、歪んだ笑いを浮かべた。
「とどめは、刺せまい」
 どくんと心臓が高鳴った。
 迷いは、強まる。

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