1.悪魔の申し子


 九年前。ラッカンスの村。
 村は今日も何事もなく平和に過ぎていくはずだった。しかしずっと続いていた平穏はこの日を境にしばし失われることとなる。

 ケシーは特にこれといった用もなく、村はずれまで来ていた。そこには大樹があり、木々生い茂る森の中でも目立つ場所だった。村と、森の境界だ。
 ケシーはいつもと同じ村はずれの大樹にいる、いつもと違う人影に驚いて瞳を丸くした。
 年のころはケシーと同じくらい。真っ直ぐな青い髪の毛を肩ほどまで伸ばした一人の少女が、不安を緑の瞳に浮かべ立っていたのだ。青い髪もそれなりに目を引いたが、何より目がいったのはその出で立ちだった。見たことのない服。上下はつながっているようで、それを体に巻きつけるような風。合わせたところを腰に巻いた太い帯でとめていた。帯の後ろには大きなリボンがたなびき、膝丈ほどの紫混じりの桃色の布には一部に花の模様が描かれている。そしてなによりも、身の丈に明らかに合っていない大きな木製の杖。それが普通の少女を普通でなく見せていた。
 ケシーは珍しいもの見たさに近づいて声をかけた。
「君は誰?」
「!」
 少女は杖を固く握り締め、身を引いた。怯えた目をしている。
「ねえ」
「……っ!!」
 なおも近づこうとしたケシーから逃げるように少女は背を向けて走った。大樹の陰に隠れ、しかしなおも村のほうを見つめている。
 どうしよう、と思案に暮れた結果、ケシーは自分の家まで走った。母ならなんとかしてくれるかもしれない。
 「かあさん、かあさん!」
 玄関に顔だけ突っ込み奥にいる母、大声でフースを呼ぶ。
「はいはい、どうかしたのケシー。怪我でもした?」
 台所から手をふきふき、フースが顔を出す。
「ちーがーうー!誰かいるんだ!来て!!」
「誰かって、だあれ?」
「知らない子!早く早く!」
「なになに、どうしたの?」
 騒ぎを聞きつけ姉、ラナケアも顔を出した。
 父は外出していて今家にはいない。
「ああもう!はやくぅ!」
 ケシーは地団太を踏んでラナケアとフースを引っ張って走り始めた。
 歩きなれた道を無意識に走って大樹の元に戻って来た。息を切らせながら、大樹の陰を見ると、やはり少女は変わらず不安そうに村の方を見つめていた。
「ほら」
 ケシーは少女のいる影を指差す。フースもラナケアをいつもは見ない少女をすぐに見つけて首をかしげた。不思議な空気をまとっている子供だ。どこか現実から剥離した風なところがある。
 しかし幼い子供には変わりない。迷子か何かだろうか。
「どうしたのかしら?」
 フースは呟くと、少女の方へ近づく。少女も大樹から後ろへは逃げようとしない。
「ねえ、あなたどうしたの?どこから来たの?」
 フースは努めて優しく語りかけたが、少女はおびえるばかりで一言も声をもらさなかった。恐怖のあまり声がでないのだろうか。何をそんなにも怯えているのだろうか。
 フースは話し掛けるためにかがめていた身を起こすと、ふうと一つため息をついた。どうしようもない。
「困ったわねぇ。放ってはおけないし。村長様に相談しようかしら?ラナケア、呼んできてくれる?この子、ここから動きそうにないし」
「はーい」
 ラナケアは一つ返事をすると踵を返して村の方へと駆けていく。ケシーは姉の後姿を少し見送ってから、再び少女に視線を移した。

 村の小さな異変に気付いたのか、野次馬が集まってきていた。大樹を囲むように輪ができている。基本的に自由な時間が多いこの村の住人は少女を見てはひそひそとささやきあっていた。
「あんな服見たことない……」
「なんだろう、あの杖……」
「あんな小さい子がこんなところに一人でどうして……」
 ささやきは伝染し、ざわざわとした一つの騒音に変えていた。
 そこに村長を連れたラナケアがもどってくる。輪の一部が切れてそこから村長は少女に近づいた。
 少女の怯えは、野次馬のせいで増しているように見えた。
「君の名前は?」
 村長の問いに少女は一歩後ずさる。村長は少女の方に優しく手を置き、さらに名を問うた。
「さあ、名前を言ってごらん。怖がることはないよ」
 しかし、少女の顔は一層恐怖に歪んでいた。震えているのが遠目にもわかるほどに。
 しばし逃げようともがいていたようだが、村長は手に力を込めて少しばかり押さえつける。
「さあ」
 じれてきたのか、村長の口調もややきつくなり、そして少女はその杖を唐突に前に突き出した。村長は驚き、肩に乗せていた手を慌てて離したが、遅かった。少女はその高ぶった恐怖の感情を抑える術を知らなかった。
 その場にいた全員は、聞いた。少女の口から漏れ出た、明らかに人間の言葉ではない、その言葉を。
 小さな叫びに近い、その言葉が終わったと同時に、少女の前に小さな火の球が現れた。
「うわっ!」
 村長は思わずしりもちを着く。しかしそれが偶然にも功を奏して、コントロールを失ったらしい火球は村長の頭上を通り過ぎあらぬ方向へと飛んでいった。村長が胸をなでおろしたのもつかの間、群集から悲鳴が聞こえた。
 野次馬の一人に、あの火球が当たってしまったようだ。
 野次馬の中から、家族のものらしい声が聞こえる。
「あなた!」
「父さん!?」
 聞き覚えのある声に、村長の傍にいたラナケアは群集を振り返った。
 そこに見たのは地に倒れ伏す、己が父の姿だった。
「父さん!」
 ラナケアも、母と弟がいるところへと駆ける。不安が胸を支配した。まさか、まさか。
 野次馬から、再びささやきが広がる。
「悪魔だ……」
「悪魔の、申し子だ……」
 少女は、怯えた緑の瞳を一層うるませているだけだった。

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