2.彼女の過去、少女の今


 ケシーの父親の容態は、一時は死をも覚悟せねばならないほどだった。村の田舎医者では手におえないと、カミギエルの街まで使いを出して、ようやく容態が安定したのだ。しかし、無償で、というわけにはいかなかった。とくに損傷が酷かった足。その両足を失わなければ、ならなかったのだ。
 容態は安定しているものの今だ目を覚ましていない。フースもラナケアも、もちろんケシーも祈るような思いでずっと彼の傍にいた。
 なくなってしまった、父の両の足があったところをじっと見つめて、ケシーは思う。
 あの、青い髪をした少女は悪魔なのだと。
 あの少女のせいで父はこんな目に遭ってしまったのだと。
 見つけなければよかったのだ。知らないフリをしていればよかったのだ。
 いつも皆言っているではないか。見るんじゃないと。
 自分の好奇心が父をこんな目に遭わせてしまった。
 異端に目を向けてはいけないのだ。あの少女は初めから異端だった。あんなところにいてはならない「モノ」だったのだ。

 足のあった部分に目を向けていられなくてケシーはうつむいた。膝の上でぐっと両手を握り締める。
 少女のことがどうしても、許せなかった。

 それから二日後、ようやくケシーの父は目を覚ました。ほっとしたのもつかの間、ショックが大きかったようで、一人にさせてくれと自室に閉じこもってしまった。
 そして更にケシーとラナケアはフースによってどこかで遊んでおいでと家からも追い出された。確かにあそこにいては気が滅入ってしまうかもしれないと、ラナケアは思う。まだまだ幼い弟は横をむっすりとした表情で歩いていた。やはりあの少女のことが許せないらしい。
 しかし、ラナケアは野次馬の誰よりも近く、あの少女を見ていた。その彼女が思うに、あの少女だけの否ではない。確かにあの能力がなんなのか全くわからないのだが、そもそも少女はこちらの言葉を理解していないようだった。口から出てきたあの言葉も明らかにこちらの言葉ではない。言葉の通じない人間が、自分の周りを取り囲んで何かをささやきあっていたらどんな気分になるだろう。
 ラナケアは昔のことを思い出して、首を横に振った。あれはまた違う。彼らには一応言葉は通じていた。あちらの言葉も分かった。聞きたくもなかったけれど。
 ケシーが唐突に歩みを止めたのを見てラナケアは首をかしげる。そして弟の視線の先を見た。
「あ」
 青い髪の少女が、そこにはいた。緑の瞳は相変わらず不安げだ。体のところどころに小さな傷を負っていたり、服が汚れているのは、もしかすると村人の誰かが。
 ラナケアはさっとケシーの顔を見た。ケシーの顔がみるみるうちに嫌悪に歪む。これはまずいかもしれないとラナケアが思ったときだった。
「お前なんか、消えちゃえッ!」
 ケシーは捨てるように叫ぶと踵を返してもと来た道を走っていった。
「ケシー!!」
 ラナケアはよっぽど弟を追おうかと考えたが、おそらく彼は放っておいても大丈夫だろう。村のことなら充分に知っているはずだから今更迷子にもなるまい。捕まえたところできっと何を言っても無駄だ。今の問題はこの少女だった。
 改めて容姿を見直してみるが、どこにでもいそうな普通の少女だ。青い髪は珍しいが、いないというわけでもない。外見だけならば何も変わったところはない。なおも不安そうな顔で俯いているのはおそらくケシーの言葉が分かったからではなく、その敵意がつきささったからだろう。
「ねえ、あなた」
 少女は一歩後ずさる。
 困った、これではあの時と一緒だ。
「あのね、怖がらなくっていいのよ。私はラナケア。あなたは?」
 通じるわけはない、と思っても一応聞いてみる。やはり、少女は無反応だ。
 何とか名前だけでも聞き出せないかと、ラナケアは何度も自分を指差してラナケア、と言った。
 何もしようとはしないラナケアを見て少女もしだいに不安が薄れたのか、表情はとてもあどけないものになった。
 もしかしたら名前くらいわかるかもしれない。
 そうラナケアが思ったときだった。
「何やってるの、ラナケア」
 ラナケアは聞き覚えのある声に恐る恐る振り返る。
 フースがいた。
「何って」
「そんな子と話しちゃだめよ。ラナケアもわかってるでしょう、その子の……その、悪魔のせいで、父さんは」
「だって」
「だってもさってもないわ!帰るわよ」
 ケシーが呼んだのだろう。ラナケアは苦虫を噛み潰したような顔になった。少女の方を再び見れば、フースの剣幕に驚いてか、また警戒を強めたような、不安な表情をしている。これでは今は何を言ったってだめだろう。
「うん」
 しぶしぶとラナケアはその場を離れる。隣で母がなんであんな子がまだこの村に、と呟く声が聞こえた。悲しくなった。
 あの少女は、昔の自分に似ている。しかも自分より何倍も、何十倍も立場が悪い。あの子も可哀想だ、と思ってしまうのはやはり親不孝なのだろうか。

 村から自主的に出て行く気配のない少女について、意見のほとんどは村から追い出せ、というものだった。中にはあんなに小さい子を追い出すなんて、という意見もあるにはあったのだが、ならばお前が引き取れというと皆瞳をそらした。結局のところ、少女に行き場はなかった。
 もちろんといえばもちろんだが、ケシーたち一家ももちろん前者の意見だった。ただ一人、ラナケアを除いて。
「可哀想よ」
 彼女はずっとそう主張した。
「家で面倒見ようよ、ね?」
「何言ってるの、ラナケア。父さんが怪我したのよ?あんな、あんな。そんな子をうちでひきとるわけがないでしょう!あの悪魔の子になにか唆されたの!?」
「違う!そんなわけない!」
 母とここまで大喧嘩したのは初めてだった。色々な恐怖が頭を過ぎる。この家から追い出されたら、家の子じゃない、なんて言われたら。しかしそれでも、どうしたってあの少女を見捨てては置けなかった。日に日にその思いは強くなるのだ。日々をどう暮らしているのかなんて考え始めたらもう止まらなかった。夜露をしのぐ場所はないだろう。食べる物だってないだろう。その上、村人には迫害される。それなのにあれ以来、あの謎の能力が発動されないのは、少女が反省しているからではないだろうか。少なくとも気に入らないから傷つければいいなんていう考えをあの少女は持っていない。
 どうしても助けてあげたかった。
「見てられないの!」
「どうして、どうしてそうまでしてあんな子をかばうの?」
 フースは真剣に問う。娘の言うことがわからなかった。なぜここまでかばい立てするのかも分からなかった。この子が父親が嫌いだったなんていうことは絶対にない。ならばもう、悪魔に唆されたと考えるしかなかったのだ。
「だって、だって、あの子……昔の私みたいなんだもん!」
 ラナケアは唇を噛み締めながら訴えた。あの子は、昔の自分に酷く似ていて、そして昔の自分以上に辛い立場にたたされている。孤立無援もいいところだ。
 フースははっとする。
「あの子は言葉を理解してない。こっちの言葉が何一つ通じてないの。村長様が言った言葉だって全然、わかってなかったのよ!わけのわからない言葉でまわりからひそひそささやかれてたら、誰だって怖いわ。言葉が分からないのにいきなり肩をつかまれたら、迫られたら怖いわ。私はあの子に似てた。私も、あの時、……皆によくわからないことでいじめられてた時、言葉は通じるはずなのに誰の言葉も分からなかった。なんであんな目にあうのか分からなかった。今は、仲がいい友達が何人もいるけど、あの時は本当に誰も信じるものかって思ってた。似てるの!でも、あの時の私には母さんがいたわ。父さんも、ケシーも。でもあの子には誰もいないわ。見て、られない」
「ラナケア……」
 今も、あの異端の子供に関わろうとしているように、ラナケアは昔から少しばかり外れていた。それが、どうにも同年代の子供には違った風に見えたらしく、不当に、無視されること、仲間から外されること、蔑視の言葉を投げかけられることが多かった。それは彼女の中ではどうしようもない暗黒時代であり、見つめたくない時代だった。
 同じような状況にあの少女が追い込まれているのだ。
 もし、自分にあの時父や母、弟がいなかったら、どうなっていたかわからない。今の幸せな自分はない。考えるだに恐ろしい。
 あの少女には、今誰もいない。ならばあの少女はどうなってしまうのだろう。それは誰もいなかったなら自分のたどるはずだった末路だ。
 そう考えると、どうしても、どうしたって放ってはおけなかったのだ。
 今度は自分が手をさしのべる番なのではないかと。
 フースは、その日はもう何も言わなかった。

back top next
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送