3.少女の名


 ラナケアの必死の説得に、初めに意見を変えたのは他でもなく、攻撃を受けた父、その人だった。
 自室にこもっている間に、もうなってしまったものはしようがないと本人に言わせれば諦めとは違う、結果を得ていた。元来、あまりこだわることがない性格ではあったのだが、これにはフースも呆れていた。そもそも彼自身、野次馬であったというよりは、通りがかったところ、人の輪が出来ているので何事かと覗き込んだときの出来事だったらしい。原因が何であったのか、ひきこもりをやめてからようやく聞き知った。
 初めはその少女に恨み言の一つでも言いたい気分になったが、ラナケアの話を聞く限り、どうにも原因は彼女ばかりではないようだ。当事者だからこそ、といった風な冷静さを持った彼は、意見を変えた。というよりも、ラナケアに賛同した。
「まあ、天災に遭ったとでも思うことにするさ。恨むに恨めない。家計が大変になってしまうのは申し訳ないけど、よろしく頼んだ」
 そう言って少しぎこちなくはあるものの、笑みを浮かべたものだから、思わずラナケアは父の首筋に抱きついてしまった。
 フースもまた呆れた顔をしてからふっと笑って、馬鹿、と呟いた。そして、フースも一応しぶしぶ妥協した。あんな子がなるかはわからないが働き手が欲しい、と言って。それでも拒否されるよりは断然マシだ。住居を共にはしないといったけれども。食事などだって一緒にしてやれるし、言葉も話しているうちにきっと覚えてくれるだろう。そうすれば少女がなぜあんな場所にいたのかとか、家族はどうしているのかとか、なぜあんな力が使えるのか、そういった疑問も全て解決するのだ。
 あまりこの話に影響力はないものの、最後まで納得しなかったのはケシーだった。
 あの少女を迎え入れる、と村長に報告してからもずっと一人、嫌だといい続けていた。
「何言ってるんだよ!あの、あの青い悪魔は、父さんの足を奪ったんじゃないか!僕は嫌だからな!絶対、絶対嫌だから!あんなヤツと一緒になんかいたくない!」
「ケシー、父さんのことは、もういいから」
「よくない!なんで父さんはあんなやつかばうんだよ!おかしいよ。姉ちゃんもさぁ!」
 当の父が言っても無駄だった。最後には拗ねてしまうだけだ。

 ラナケアは少女を探して村を歩き回っていた。一番警戒されていない上、おそらく村の中でもまともに接することが出来るであろう、ラナケアが少女を迎えに行くことになった。少女がまだこの村にいるのは確かなようだ。
 少女は地理不案内なのだから、きっとこの前見かけたあたりをうろうろしているのではないかとラナケアはそのあたりを重点的に探した。しかし、なかなか見つからない。
「困ったなぁ」
 どこか少女のいそうな場所はないものだろうか。村の者から嫌われているのならば、人目につかなさそうな場所だろうか。なんだかんだ村からは出ていないようなのだから。
 ああ、そういえば、とラナケアは思い出す。もしかしたならば、あの森と村の境にある大樹のあたりにいるかもしれない。いや、きっとそうだ。ラナケアは自分の思いつきが的を得ているような気がして、気分を高揚させながら大樹のあるところへと向かった。
 事実、その考えは的を得ていた。
 木のふもとに座り込んでいる少女をラナケアは見つけた。かけよりたい気分にでもなったが、怯えさせないようにそうっと近づく。
「寝てる……」
 あどけない表情で木にもたれかかり少女は寝ているようだった。すいていないからか、とかせば綺麗になるだろうに、からまっている青い髪がどうにも痛々しい。服にも汚れたところが目立つ。
 そこまで考えてラナケアははっと思い当たる。この少女に村での居場所はない。親切に接してくれる人も――中にはいるかもしれないが、そうたいしていないだろう。食事は、眠るところは。
 唐突に恐ろしくなった。
 もしこの少女が眠っているのではなく、気絶しているとしたら。胸が小さく上下しているから最悪の事態ではないようだが、十分に考えられた。
「ね、ねえ」
 ゆるく肩を掴んで揺さぶってみた。
 反応がない。
 もう一度、今度は強く揺さぶってみる。
 今度は少女は薄く瞳を開いた。どうやら思い過ごしだったようだ。ほっと胸をなでおろした。
 次に心配なのは、揺り起こしてしまったはいいが、少女が怯えないかということだった。いきなり自分がいたらまた怖がるのではないだろうか。
 慎重になって少女の顔を覗き込むが、意外にも少女はまっすぐな瞳でラナケアを見つめ返した。
「ら……、けあ?」
 音が、聞こえた。少女の声だ。初めて聴いたその声は想像していたものより幾分か低いが、まだ幼さの残る声だった。
 しかし、言語がやはり違うのか何を言ったのかわからない。
 ラナケアが首をかしげると、少女は右腕をのろのろと上げてラナケアを指差した。
「ら、な、けあ……?」
 はっとする。わからない言語ではない。これは、自分の名前だ。
「覚えてて、くれたんだ」
 この前必死になって伝えた自分の名前は、名前と理解されているかはわからないが、しっかり少女の中に残っていたらしい。
 胸がつまった。息を全て吐きつくした後も、ずっと息を止めている時のような、それに近い苦しさが嬉しさと共におしよせる。
「あ、そうだ、あなた私の家に来ない……って言葉が通じないんだっけ」
 ラナケアはしばらく悩むと、とりあえず右手を差し出してみた。とってくれればいいのだが。少女は首をかしげてラナケアを見上げる。
 わからないようだ。
 更に悩むとラナケアは右手をそのままにして左手で手招きしてみた。自分の体勢が少しばかり怪しいことに苦笑いを浮かべながら。すると少女はいぶかしがりながらも、ラナケアの右手を取る。ラナケアは怖がらせないように、とゆっくりその手を握って少し立った。少女もつられて立ち上がる。
「怖がらなくっていいからね。……父さんのことは悲しいけど、あなただけに非があるわけじゃないから」
 言葉が分からない、と思いつつもついつい口に出してしまう。しかし、喋ることが出来ないわけではないようだから、いつかはこちらの言葉を理解できるようになってくれるだろう。
 ラナケアは少女の手を引いたまま、一歩踏み出す。二歩、三歩。少女も心もとない足取りでそれについてきた。
 よろけるのは、きっと食事を十分に取っていないからだろう。一刻も早くなにか食べさせてあげなくては、という気持ちとしかし早く歩いては少女が追いつけないという気持ちに板ばさみになりながらラナケアは歩いた。自分の家まで。

 ケシーが家にいなかったのは幸いだった。きっと彼はまたこの少女に対して幼い敵意をむき出しにする。それだけは避けたかった。
 しかしフースも理性では受け入れると思っていながらやはり感情がついていっていない風だった。少女は家にあがることは拒否された。だからラナケアが何かおなかにたまりそうなものをフースから貰ってそれを少女にあげるしかなかった。もっとも、それでも充分マシな方だろう。
 食事に手をつけた少女を見ながらラナケアはふと思い出した。
 そういえばこの少女から名前を聞いていない。名前くらいならなんとか聞き出せるのではないだろうか。
「ねえ」
 少女は食べる手をやめてラナケアを見る。
 ラナケアはどうしよう、と思いながらまた自分を指差し、ラナケア、といった。
「らな、けあ」
「そう」
 ラナケアは頷き、次に少女を指差した。通じるだろうか。
 少女はやはり怪訝そうな顔をしたままだ。
 もう一度、自分に指を持ってきて、同じ事を繰り返す。
 何度も、何度も根気良くつづけた。
 何度目かわからなくなったころ、少女は言葉を発した。
「リシア」
「リシアって、言うの?」
 ラナケアは少女を指差して、リシア、と問うように言う。
 少女はこくりと頷いた。
「リシア・クレファンス」
 リシア・クレファンス。それが青い髪の悪魔と呼ばれた、少女の名だった。

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