4.大人気ない、その境


 それからのラナケアの努力でリシアはぽつぽつとだが単語を覚え始めた。それを羅列させてなんとか文章のようなものもしゃべることができる。たどたどしいが理解できる範囲だった。
 そしてわかったこと。
 リシアには、この村に来る前の記憶が残ってはいなかった。
 いわゆる記憶喪失だが、それでもいろいろな疑問が氷解しないだけで生活にはなんら問題はなかった。
 フースは働き手がいなくなったところを埋める、といった意味合いでリシアになにかしら仕事をさせることで、報酬として食事を出すと妥協した。
 リシアに、幼い少女にできることといえば、たいしたことはない。
 しかし、それでも何か仕事をやらなければならなかった。それが身寄りもなく村中から白い目で見られるリシアが生きていくために必要なことだった。
 リシアもただ黙々と言われたことをやり続けた。

 ラナケアは昼食のサンドイッチを外に運んだ。二人分。そしてリシアを呼ぶ。リシアは黒い手に膝で現れた。今日は暑い中畑仕事をやっていたらしい。ラナケアは苦笑する。
「手洗って、ご飯にしよう?」
 リシアはこくりと頷いた。

 「ごめんなさい」
 リシアがサンドイッチを手にしたまま呟いた。
 ラナケアはえ、と言って首をかしげる。何の脈絡もなく唐突に出てきた言葉だった。
「あやまろう、おもった、です。でも、ことば、わからなかった」
「何を謝るの?」
「おとうさん、こと。わたし、けが……」
 言葉が分からなくなったのかリシアは言葉を詰まらせる。しかし、皆まで言わずとも言いたいことはわかった。完全でないにしろ、ラナケアも当事者であったのだから。
 少し顔を翳らせるが、このことでリシアに不安を与えてはいけなかった。殊、ラナケアは。村中の人々はこの件でリシアを嫌悪している。無論、フースにしろ、ケシーにしろ。このことで敵視され続けていたのはリシアにもうっすらとわかっているだろう。だからせめてラナケアはリシアにこのことで不安を与えてはならなかった。
 顔をあげて笑顔で答える。
「大丈夫よ。たいした怪我じゃないとはいえないけど。父さん、そんなに気にしてないから」
 彼が父親であってよかったと、ラナケアは本当に思う。昔から好きだったが、自慢の父親ですと吹聴して回りたくなるくらいに今回の件は嬉しかった。好きだからこそ一瞬、顔を翳らせてしまったのだが。
 リシアの顔が晴れないのを見て続ける。
「怖かった、んだよね?」
 リシアは唇を噛み締めてうなずいた。
「でも、いいわけ」
「……しかたないわ。リシアちゃんもあの力が何かわからないんでしょ?」
「わからない、です。あたま、うかんだ、だけ」
「そっか」
 なんとなく重苦しい沈黙が流れた。リシアは最後の一切れを口に放り込むと、ひょこりと立ち上がった。
「ありがとうございました。おいしかった、です。しごと、もどります」
 ラナケアは走っていくリシアの後姿に手を振ってから、ふとサンドイッチが乗っていた皿に目を落とした。どことなく寂しげだ。ふうとため息をつくと、ラナケアは自分の分の皿を重ねて持ち上げる。
(一緒に食べたって、家の中に入れてあげたって、いいと思うのに)
 夕食は一緒には食べられない。ラナケアも中で食べろといわれているから。ラナケアとて家族の団欒を欠かしたいわけではないのだが、そこにリシアが入っても問題はないはずと思うのだ。
(……問題かー。やっぱあるかな、問題。ケシーがなぁ)
 あの弟の態度は一向に緩和しなかった。むしろ自分の家に来るとわかってからいっそう頑なになったような気もする。リシアがいる間はほとんど家には近寄らなかった。今も、家にはいない。
 いない弟とリシアの顔を交互に思い浮かべながらラナケアは食器を流しに置いた。

 その日の夕食の時、ラナケアは承諾されないだろうとは思いつつもリシアと共にこの場で夕食を食べても良いのではないかときりだした。
 フースは予測どおりに嫌な顔をした。
「ラナケアはあの子に甘すぎるんじゃない?あの子が父さんにした事を忘れたの?」
「そーだよ。あんなの、かばうことないじゃんか」
 ケシーもそれに同調する。
 ラナケアは期待半分ではあったが、少しも悩む素振すらないことに落胆した。頭が固いと思ってしまうのは子供の勝手なのだろうか。
「父さんの事を忘れるわけない!でも、母さんたちこそ、リシアちゃんに辛く当たりすぎ!……まだ、あんなに小さいのに」
 ケシーなんて一日中遊びまわっているのに、それが普通の子供だというのにリシアは満足に眠る場所すらないのではないだろうか。きっと野宿なのだ。かけるものすらない。今は暑いくらいだからいいが、それだってましという程度だ。
 環境がいくらなんでも劣悪すぎると思う。皆、なぜ放っておくのだろうか。「悪魔」だからそんなものはどうということがないなんて思っているのだろうか。どこにでもいるような普通の子供なのに。それが、わかっていないのだ。あの時だけを見て、皆決め付けてしまっているのだ。
 自分の方がよほど大人げがあるとラナケアは思った。
 ケシーはラナケアの言葉にさらに顔をしかめた。
「小さくても悪魔だよ、あんなの!皆言ってる。青い悪魔だ!」
「ケシー!!」
 聞き捨てならない。ラナケアは思わずテーブルに手をついて勢い良く立ち上がった。食器同士が高い震えた音をたてる。
 話してみたことすらないくせによくもそんなことがいえる、と続けようとしたときにフースが静止をかけた。
「やめなさい、ラナケア」
「……ッ!!」
 今、この二人に何を言ってもだめだ。
 ラナケアはそう思って憤りながら腰をおろした。
(話してみたことも、ないくせに……)
 話せば分かるのだ。リシアがどんなに幼いか。今、どんな苦労をしているのか。どんなに反省しているか。
 どうしようもない怒りが胸のうちに渦巻いた。

 リシアが次の日、夕食の前になって唐突に言った。
「わたし、ごはん、いらない」
「いきなりどうしたの?」
 本当にいきなりだったのでラナケアは驚いてリシアを見た。緑の瞳を伏せ目がちにしてリシアは続ける。
「きのう、けんか、してた。わたしの、せいです」
(聞こえちゃったんだ……)
 あの時外にはリシアがいたのだ。一人で夕食を食べていた。
 確かに、いつもはラナケアが食器を取りに行くまで待っていて一言礼を言ってからどこかへ帰っていくのだが、昨日は取りに行ったとき、すでにリシアはいなかった。あの会話が聞こえてしまって居たたまれなくなってしまって帰ったのだろう。
 それでいて今日はきちんと仕事をしにきている。
「あれは違うの。リシアちゃんがご飯を食べたから喧嘩したんじゃないのよ」
 それでもリシアは首を横に振った。
「だって、おなかすくでしょ?」
「へいき。しんぱい、しないで、ください。だいじょうぶ」
 そういうと無理に笑ったような笑顔を浮かべリシアは背を向けてかけていった。追うに追えない背中だった。
 どうしてこんなにも、リシアは全てを受け入れているのだろうか。
 ラナケアは不思議で、そして悲しくてしかたがなかった。

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