7.話の終わり、彼らの始まり


 リシアは、体のだるさが抜けていったような気がした。背筋を流れる冷や汗と共に。息を詰めた。通いなれた、そして今隣にいる自分を純粋に心配してくれている人の家が、燃えていた。轟々と音を立てて燃えていた。
 リシアはおずおずとラナケアの顔を見上げるが、筆舌尽くしがたいものだった。焦りと恐れと驚きが全てないまぜになったようなそんな顔だ。リシアもそれにつられて不安が増す。
 すでに燃えている家のまわりには、危険にならない程度の距離をとって人垣ができていた。
 方々から声が漏れる。
「きっと、アレだ……」
「あの青い悪魔の仕業……」
「恩を仇で返すなんて……」
 自分のことだとリシアは肩をすくめた。言葉を覚えて何度も聞いた言葉。
 リシアはよっぽど違うと叫びたかったが、喉をついて出なかった。
「まだ中に人はいるの……?」
「なんでも……」
 呆然としていたラナケアがはじかれたように、今の話をしていた人のところまで歩んだ。夜なのに暑いとうなるほどの熱気が伝わってくる。リシアはおどおどしながらラナケアの後に続いた。リシアに気付いた周りの人は何も言わずに道をあけた。
「あの……っ!家に、家に誰かまだいるんですか!?」
「スィンドさんとこの」
「ラナケアちゃん、無事だったのね!」
「なんでも君のお父さんと弟が、まだ中にいるらしい」
 ラナケアの顔から血の気が失せた。
「かあ、さんは?」
「今、家の中に入ろうとしたのを止められたわ。無茶よ、あんな中に飛び込むのは。……その子は」
 ラナケアの後ろに引っ付いていたリシアの肩が震えた。明らかに声には好意とは言えないものがこもっている。
「そいつのせいなんだろう?なんでそんなのと一緒に」
 リシアはぐっと唇を噛み締めた。やってないの一言が出なかった。出たところで信じてもらえるかなんて分からなかった。それだけのことを、それに十分なことをしてしまったのだから。
 胸が苦しくてしょうがなかった。
 やっていない、その弁明。そして彼らに対するほのかな怒り。また背負う罪悪感。
 息がうまくできない。
「……やってないです。リシアちゃんは、そんなことするような子じゃないし、今日は熱があって動けなかったんです。だから、違います。リシアちゃんじゃありません」
 リシアは瞳を上げた。ラナケアは顔をふしたままではあるが、そう冷静に言い放った。
 リシアの心臓が跳ねた。きっとこれが嬉しいという、そういう言葉であらわされるものなのだろうとリシアは思った。こんな状況に置いても、彼女は信じてくれたのだ。あの妙な能力が、空間をこえるものだったとすればリシアにも可能なことなのに、それでも信じてくれたのだ。
 さっきとは違う気持ちで唇を噛み締めた。
 ラナケアは無言でリシアの手を引くと、足早に歩き出した。リシアも小走りで付いていく。
「母さん!!」
「ラナケア!」
 フースの狼狽振りはただごとではなかった。青ざめた顔が炎に照らされて奇妙な具合になっている。
「父さんは、ケシーは!?」
「まだ、中にいるの……、いるのよ!」
 なんでもフースが家を留守にして、帰ってきたらこの惨事だったらしい。二人の姿はどこにも見当たらないから家の中にいると考えるのが妥当なのだそうだ。希望的観測はあまりできなかった。
「ケシーはまだ小さいし、父さんは動けないし……!」
 フースは今にも飛び出していきそうな目で燃える家を見た。青い瞳に赤い炎が映る。
 ラナケアはわかった。あんな中に飛び込めば、飛び込んだほうもただではすまないと。だから歯がゆくもフースとお互いを抑えあうことくらいしかできなかった。ともすれば走り出しそうな足を止めるために。
 リシアは。
 飛び出した。
「リシアちゃん!?」
 ラナケアの声が届く。
 リシアは一度振り返った。強い瞳でラナケアの瞳を見つめ返す。
「だいじょうぶ、です!いけます!」
 そしてまた燃える家へと踵(きびす)を返す。走りながら思った。これは自分がやらねばならないのだと。あのままでは死んでいたかもしれない自分に食べるものを与えてくれた、そして信頼してくれたラナケアのためにも。あの炎の中にいる二人に償うためにも。リシアは炎の中に行かねばならないのだ。
 誰も止めはしなかった。

 本能的にリシアは頭に浮かんだ言葉を口にのせた。杖は持っていて良かった。ずいぶんと集中しやすい。きっと集中すればなんとかあの力は操れるものなのだと、今まで発動させかけながら学んだ。
 言葉を唱え終われば、どこからか水が洗われ、リシアの全身をぬらした。暑いことには変わりないが、これで燃え移る心配はしばらくないのだとわかる。体をかがめて家に入り込んだ。
「けしーさん!けしー、さん!!どこですか!?」
 今までで一番大きく声を出してみたのだが、あまりよくない。熱い空気は喉に張り付くようだし、空気も足りていない。
 ケシーはよければこのあたりにいるだろう。悪ければ二階だが。彼の父の居場所はケシーが知っているはずだから、ケシーに会えるのが一番いい。彼に対しては、一番恐怖心を抱いていたが、今はそんなことを言っている場合ではなかった。
「けしーさん!」
 どこからかすすり泣くような声が聞こえる気がする。きっといるはずなのだ。燃える家を進む。玄関、台所。居間。
「けしーさん!」
「誰!?」
 はっきりと声が聞こえた。この部屋にいる。リシアは周囲を見回した。
 いた。
「けしーさん!だいじょうぶですか?」
「お前……」
 リシアがきたことに驚いているのか、ケシーは涙の後だけ残し泣き止んでいた。リシアはほっとする。いてよかったし、来たことに関して罵られてもいない。
「けしーさん、にげましょう」
 リシアはほっとしたことで思わず笑顔がこぼれうずくまっているケシーに手を差し出した。
 ケシーは顔をゆがめてその手を取る。
「待って、父さんは!?寝室で寝てるんだ!」
 リシアはケシーを見つけたという安堵感で、正直そこまで頭が回っていなかった。だから一瞬はっとして、そして強く頷いた。
「わたし、どこいるか、しりません。だから……」
「こっち!」
 ケシーはリシアを先導して煙を避けるように腰をかがめながら走った。リシアは暑いと思ったら、またあまりにも火の勢いが強いところに向かって例の力を使った。ケシーは初め肩を震わせたものの、害がないと分かれば何も言わなかった。黙ってリシアの先を歩く。
 一枚の扉の前でケシーは立ち止まった。
 リシアは辺りを見回す。このあたりはまだ火のまわりが遅い。きっと大丈夫だろう。
 ケシーは飛び込むように扉を開けた。
「父さん!」
「ケシー!それに……」
 彼はケシーとリシアの姿を見て酷く驚いた顔をした。
「はやく、にげましょう!はやくしないと……」
「いや……父さんのことはいいから、お前達だけで逃げるんだ。どうにも、思うように動けないから」
 リシアは唇を噛み締める。充分思慮して言ってくれている。しかしそれでも自分のせいには変わりないのだ。
 ケシーはリシアとは反対に跳ね返すように強い口調で叫んだ。
「何言ってんだよ、父さん!逃げられるよ!父さんも一緒じゃなきゃ嫌だよ!」
「ケシー……」
「僕……ッ、頼りないかもしれないけど、肩貸すから!一緒に出ようよ!出られるよ!」
 リシアもケシーの声を聞いてぱっと顔をあげた。
「わたしも……わたしもてつだいます!にげましょう!そとで、らなけあさんとおかあさんまってます。だから……っ!」
「リシアちゃん……」
 ケシーの父は二人の瞳が放つ幼いながらも強い光に一瞬、照れくさそうな顔をしてから強く頷いた。子供がこれなのに大人がこれではいけない。そして手を使ってベッドからおりる。
 あとは、どこか出口へ向かうだけだ。
 ケシーとリシアはお互いに顔を見て頷きあう。
 二人で肩を貸して、そして一歩踏み出した。

 「あ、あれなんですか?」
「あんまりうろちょろするなよ!お前すぐ迷子になるんだから」
「な、なってないです!だってなにもしらないから、ちょっとみてみようとおもって、そしたら……えーっと、けしーさんのすがたが……」
「それ、迷子って言うんだよ……」
 ラナケアはぱたぱた走り回るリシアとそれになんとなくついていっているケシーを見て、微笑ましそうにしながらも首をかしげた。
「子供ってこんなもんかな?」
 自分も子供であることは棚に上げて、というよりはただ単に自分よりも年下の者をさして呟いた。今の姿からは到底あれらの日々は想像できない。
「まあ、なんか終わりよければ全てよし、ってかんじかなぁ」
 リシアのことはまだ完全に村人達に受け入れられたわけではない。しかし初めのようなあからさまな冷たい視線とささやき声はなくなった。
 家は一度焼け落ちてしまったが、村人達も協力してくれてあっという間に新しい家は建ってしまった。そしてその家をちらりと見て、もう一度、ケシーたちに目をやり最後に空を見上げた。まわりを森の緑で縁取った真っ青な空に向かって大きく伸びをする。また変わらない平和な日々が流れていくのだろうなと予感しながら。

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