1.後ろの妖精


 「へ?」
 一瞬しんと静まり返ったその場で間抜けな声を初めにあげたのは当のリシアだった。
 その声につられて混乱の声が氾濫する。
「って、リシアお前そんな特技まであったのか!?」
「な、ないわよー!妖精が見えたことなんて一度もっ!!」
「え?でもリシアさんの背後に一人、妖精が……」
「うわっ、そんなお化けみたいな言い方しないでよカーラ!見えないってば」
「一人妖精が……ということはカーラは妖精が見えるのか!?」
 あ、あの落ち着いてくださいというカーラの声に異様なテンションは収まりを見せた。
 しかし三人の顔には依然混乱という二文字が貼り付いて離れない。
 カーラがゆっくりと言った。
「フィービットさんの仰るとおり、私は確かに妖精が見えます。話もできます。それでリシアさんの後ろにずっと一人の妖精がついていらっしゃるんです。でも妖精って基本的には人間に近づかないんです。話の出来ない人間には特に。だからてっきり私はリシアさんが妖精とお話できるのだと思ったのですけど……。違うみたいですね」
 リシアはうなずいた。
「全然……っていっても、私七、八歳くらいから前の記憶がないからその時はどうだったか知らないけど。でも記憶喪失って体質には関係ないよね?あれ、妖精が見えるのは――」
「ええ。生まれつきです」
 カーラが引き継ぎ言った。
「どんな人が……妖精がついてきてるの?」
「えっと」
 カーラは周囲を見回すと何かの切れ端のような紙と黒い塊――木炭をとってそれにさらさらと描いた。
 紙の上に現れたのは、髪が長く、美しいというよりは繊細な面立ちをした女性だった。年の頃は人間でいえばラナケアと同じくらいかそれより少し年上だろう。変わった構成の服を着ている。一枚の布を巻きつけてそれを何枚か重ねているような、所謂和服だ。そして妖精の特徴に沿い、耳は長く羽があった。
 しかし三人はこの妖精に見覚えがあるなどの類でない驚きの声を発した。
「うま……っ!」
「似てるかどうかなんてわかりっこないけど、きっとこれ絶対似てるよね」
「何か絵に携わることでも?」
「母が絵描きでしたので。私も少しばかり」
 さらさらと描いたわりには特徴もつかめていて、そして上手いのだ。おおざっぱだが目立った狂いのない絵。適度に質感もありただぼんやり落書きしていただけでは描けるようにはならないような絵だった。
「髪の色は新緑の色です。肌は白めで、服は青が基盤ですね」
「でも、見覚えないなぁ」
「俺も」
 フィービットも無言で同意を示す。
 もちろん見えないのだから見覚えがあっても困るには困る。
 妖精は見えない人の方が圧倒的に多い。しかし見える人がいないわけでもなく、カーラもそういったうちの一人らしかった。
「事情を聞いてみましょうか?」
 うんとリシアは首を縦に振る。
 カーラが口を開きかけた時、ケシーがふと思いついたように言った。
「そういえばこの服、リシアが村に来た時の服に似てるような気がする」
「ああ、そういえばそんな感じだったかも。ね、カーラ。妖精って皆こういう服着てるの?」
「ええ。だいたい皆さんこういった感じの服を着てらっしゃいますよ。私たちとは少し違うみたいですね。他にも違うところといえば、耳が長いだとか、羽が生えていて飛べるだとか、あとは長寿なことくらいでしょうか。あと言葉も違いますね。魔術を使い自然を操るというのは一般的ですし。あ、面白いことにどうやら人と妖精は物質を介して通じ合えるようですよ。人間と妖精は触れることができませんが、物質ならば人間も触れられるし妖精も触れられるみたいです。もっとも、妖精が身に付けた瞬間に見えないものとなってしうみたいですけど……」
 カーラは指を折りながら妖精と人間の差異をあげていく。生まれつきなのだから二十年近い付き合いになるのだろう。実体験からか他の書物からかは知らないがそれなりに知識をもっているようだった。
「言葉も違うなら、一体どうやって話しているんだ?」
「さあ、そればかりは。私もよくわからないんです。違う言葉を話しているのも分かるのですが、でも頭では何を言っているのか理解しているんですよ。それに妖精は人の言葉を理解してもいるようですが喋ることは出来ないみたいです。言われてみれば……不思議ですね。今まで気にも留めていませんでしたが」
 普通の――見えないものにとっては遠い存在な妖精もカーラにとっては普通の、当たり前のことのようだった。気にも留めないほどに接しているのだろう。少し不思議な気分だった。今見えている世界とはまた別の世界が見えるというのが。
 全員一息おくと、カーラが改めて言った。
「では、事情を聞いてみますね。この方が言うことは……私が同時通訳します」
 カーラは瞳を一度閉じると体の向きをリシアから少しずらし、黒瞳を開きリシアの肩の上あたりの虚空を見つめた。
 そこに件の女性がいるらしい。
「あなたは誰ですか?そしてなぜリシアさんと共に行動しているのですか?」
 カーラが問い、そしてその女性が話しているであろうことをカーラは話し始めた。
「私は碧(みどり)というものです。リシアについてきたのは……心配だったからなんです」
 え、と聞き手に回っている三人が声をあげた。リシアにすらよくわからないらしい。
 見知らぬ妖精に心配をかけるような何かがあったのだろうか。
「リシアを、リシアを八歳まで育てたのは……私……なんです」
 リシアは声を発するカーラではなく緩慢とした動きで自分の後ろを振り返った。瞳を大きく、大きく開いて。
 見えるわけではないらしい。しかし見ずにはいられなかったのだろう。
 ケシーも、驚いた。
 それでは、リシアの母親は。
「……でも私は本当の母親ではありません。捨てられていたのです。人目のつかない廃屋に。まだ、生まれて間もなかったのに。赤子は泣いていました。それがあまりにも憐れで……。私たちの声が聴ける人、姿が見える人はあまりいません。人間に頼もうにも頼めなかった」
「なに、それ」
 リシアが強張った声を出す。
 しかし、とケシーは思う。おそらく当事者でないから割りと冷静にこんなことを考えられるのだろう。
 リシアは妖精の姿も見えないし声も聞けないはずだった。妖精にそんな人間の子供が育てられるものだろうか。触れることすら出来ないのに。
 その疑問を氷解させるようにカーラ……碧は続けた。
「幸いにもリシアは、その時は声だけは聞こえるようでした。姿は見えないままでしたが。私は『声』でリシアを育てたのです。『声』とあとは物質的に助けてやること。そうやって私は八つの時までリシアを育てたのです。リシアも妖精の言葉で育ったために妖精の言葉を覚えました。会話には不自由ありませんでした」
 カーラを通じてもなんとなく碧の俯きかげんな様子がうかがい知れた。
「思い、出した……」
 リシアは軽く茫然自失となりながら唐突に呟いた。
 瞳は大きく開いたまま、どこを見ているのかわからなかった。

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