2.心の底にため込んだ言葉


 碧はなにも喋っていない。カーラは黙って一つ息をついた。
 自分は役者ではない。だから彼女の感情までは上手く伝えきれない。しかし声が聞こえて表情が見えているカーラは碧の苦悩が痛いほどにわかった。
 なぜ人と妖精はこんなにもわかれてしまっているのだろう、と昔からどこへともなく問い掛けていたものをもう一度考えた。
 その気持ちに隔たりなどないのに。もどかしくてしかたがない。

 リシアは身を強張らせていた。
 頭に過去の記憶が渦巻く。
 誰も居ない風景。寂れた誰も居ない廃屋。声だけが聞こえる。今となっては思い出すことの出来ない言の葉。
 世界はそれだけで完結していた。
 それ以外の世界を知らないから何の疑問も抱かなかった。

 「私……、そうだ、『声』に育てられたんだ……。『声』に魔術を教えてもらったんだ。私、わたし……」
 何も声がかけられなかった。
 碧が口を開く。
「魔術は、その力さえあれば誰にでもつかえます。リシアは特に強かったけれど……ここにいる方たちだって微力ながら力は持っているのです。言葉さえ、その力を具現するまで組み上げる言葉さえあれば誰にだって使えるのです」
「では、人に魔術が使えないというのは……」
 フィービットが呟いた。どこに向かって問い掛けたものか、やりづらそうではある。
「言葉を知らないからです。人は、人の言葉で育ちます。だからその言語を知ってしまってからでは私たちの言葉は使えない。いかに真似たところでそれはただの真似にすぎないのです」
 碧は一度言葉を切った。
「話を戻します。私はリシアをどうにかして育てました。でも私は疑問を抱いた。このままでいいのかと。リシアは独りです。私の姿も見えない。だから独りきりなんです。でもその状態にも気付かないのです。何も、知らないから。私はいけないと思った。だから私は一番近くにあった村にリシアを……置き去りにしました」
 碧が唇をかむ。
 カーラは思う。この気持ちを伝えられないのだ。それが本当に悔しくてしょうがない。
 碧はぐっと拳を握り締めた。
「記憶を……魔術に関するもの以外、全て失わせて」
「……なにそれッ!」
 唐突にリシアが椅子を蹴るように立ち上がった。
 やはり誰も声をかけられない。こんな特殊な状態のときにかける言葉なんて持ち合わせていなかった。
「いいかげんにしてよ!なんで、なんでそんな……勝手すぎるじゃない!何にも分からない状態であそこに放っておかれた私の気持ちが分かる?わけのわからない言葉を喋ってる人たちに囲まれた時の気持ちが分かる?勝手すぎるじゃない。勝手すぎるよ。捨てるなら捨てるで、どうして魔術まで忘れさせてくれなかったの……。怖くて怖くて、頭に思い浮かんだ言葉をそのまま口に出したら……人を、人を傷つけてしまった時の気持ちが……あなたにはわかるっていうの!?」
 リシアはまくしたてるように叫ぶと家を飛び出した。
 誰もひきとめることはできなかった。
 後にはリシアが飛び出したときに倒れた椅子が虚しく床に影を落とすだけだ。
 ケシーはその椅子をじっと見つめ、そして立ち上がった。椅子を起こして、そしてそのまま無言でリシアの後を追った。
「俺たちは行かん方がよさそうだな」
「そうですね……」
 残った二人は静かに呟いた。
 事情がわからないから、だからこの場合介入しない方がいいのだろう。
『ごめんなさい……リシア……ッ!!」
 碧の小さな詫びは誰にも聞かれることなく虚空へ消えた。

 「待てよ、リシアっ!」
 ケシーは浜辺でリシアにようやく追いついた。手首を掴むと、リシアはその場にぺたんと座り込んだ。
 肩が小刻みに震えていた。
「なんで……なんで……?もう、やだよ。なんで私は捨てられなくちゃいけなかったの?なんで?私はそのままでよかったのに……そのままがよかったのに」
「リシア……」
 答えが見つからない。見つかるはずもない。
「そしたら、私は何もしなかった。そしたら私は……ケシーのお父さんに、おじさんに、あんな、怪我……ッ!」
「でも、それだと俺とリシアは会えなかったじゃないか」
 やはりずっと気に病んでいたのだ。あの時のことを。もうおそらくは本人すら気にしていないだろう、あの時のことを。
 ケシーは努めて優しく言った。
 リシアは首を横に振る。
「魔術なんか、いらない。こんな力、欲しくない。いいことなんて何一つ、ないじゃない」
「俺は、あの火事の時、リシアに助けられた。それはその力があったからだろ」
「でも私がおじさんを怪我させてなかったら、きっともっと簡単だったよ。それに、こんな力なんかがあるから、あんな奴等に利用されて、世界を滅ぼすのに加担しちゃって……ッ」
 リシアは涙にぬれた顔をあげた。
「もうやだっ!やだやだやだやだ!自分が怖い!何するかわかんない自分が怖いのっ!私なんて、生まれてきちゃいけなかったんだよッ!!」
 それが心の底か。
 ケシーはリシアの腕を掴んで引き、強引に立ち上がらせた。
 そして、平手でその頬を打った。
 高い音が誰も居ない浜辺に響いた。

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