3.昔よりも、今


 リシアの高ぶっていた頭はいきなり冷えた。驚きが感情を一瞬上回ったからだ。打たれた右頬はじんとした痺れが走っている。熱をもったのか触れた右手を心地よく感じた。
「ケ……シー?」
 掴まれた左腕が痛い。
 ケシーは怒りに震えた声で言った。
「んで、……なんでんなこと言うんだよ!」
「え……」
「なんでそんなこと言うんだって言ってるんだ!」
「だって……、だって言ったじゃない。こんな力、皆に迷惑掛けるだけで。私がいると、周りが……」
 ケシーは詰めていた息を一気に吐いた。少し感情に任せすぎたかもしれないと反省する。力の入りすぎていたリシアの腕を掴んだ右手を放した。ただし謝る気は毛頭ない。
「確かに……確かにリシアは迷惑をかけてきたかもしれない。でも、それに見合う、いや見合う以上に頑張ってるじゃないか。俺は……父さんがお前の力の暴走で傷を負ったとき、お前を悪いやつだって決めこんだんだ」
 二人ともこの頃の話題を口にするのは今まで極力控えてきた。逃げてきたといったっていい。
 お互いのことをわかっているつもりでいた。しかしそんなことはなかったのだ。まだお互いの本音がわかっていない。わかっていないとわかりながら一緒に過ごした時間の長さだけにひたっていた。
 もうここまで来てしまったなら引き返すことはできない。ぶつかるしかない。
「まわりの言葉にだってのせられてた。姉貴の行動も全然理解できなかった。お前の気持ちなんて、気持ちがあるかどうかさえ俺は考えてなかったんだと思う。だから、俺はお前に辛く当たった。酷い言葉だって平気で吐き捨てた」
 何故か今になって鮮明に思い出すのだ。幼いリシアの顔を。その表情は悪魔の顔などではない。どこにでもいそうな、そして怯えた顔をした普通の少女なのだ。今思えば悪魔だなんだというのはあまりにも馬鹿馬鹿しい。自分が辛辣な言葉を言うたびに傷ついていたではないか。
 ケシーはぐっと拳を握り締めた。
「でも、リシアはそんな俺を助けに来てくれた。あの火の中俺の名前を呼んで。わかんないだろ。自分の名前を呼ぶ声が聞こえたときの安心感だとか、来てくれたのがお前だってわかった時の恥ずかしさ。俺は……今も自分がそんな良い奴だなんて思ってないけど、でもあの時よりはよくなってるって言える。そんな俺が今ここにいるのもお前のおかげだと思う。リシアはこんなすごいことやってまだダメ、まだダメなんて言ってるけど、俺はそうは思わない!」
 リシアは一瞬はっと息をのんだが、しかしまたすぐに顔を曇らせた。肩を小さく震わせる。
「……だって、私、ギルバーツに手を貸しちゃったよ?私、わたし……、世界を滅ぼそうとしてる計画を、そんなどうしようもない計画をまた一歩進めちゃったんだよ?もう怖い。怖いの!世界が、世界が滅びちゃったら私のせ……」
 顔をあげないリシアにも、いつまでもうだうだ言っているらしくないリシアにも、そして全く別の何かに対しても腹が立って、リシアの肩を掴んで怒鳴った。
「本ッ当にいい加減にしろよ?誰もリシアのせいだなんて思わねえよ!んなことやってるギルバーツが全部悪いんだろ!?もし、なんて言ってるけど、見ろよ。世界は滅びたのか?まだここにあるじゃないか!それにリシアはそれを止めようとしてる。昔やったことよりも今やってることの方がよっぽど大事だろ!?」
 リシアの大きく開かれ少し赤くなった瞳から、ぽろりと一筋涙が流れた。そして、それは止め処なく流れ始める。
 それを見て今度は完全に頭が冷えた。想像以上に熱くなりすぎていたらしい。
「あ、ご、ゴメン。痛かったか?」
 ケシーは慌てて肩を掴んだ手を放した。力の加減なんていうものは頭の中になかったものだから、どれくらいの強さで掴んだかは分からないが、自分の手も結構痛いので、つかまれている方は相当痛かっただろう。
 しかしリシアは少ししゃくりあげながら首を横に振った。
「違う……。うれし、の。なんか、すっごく、言葉にできないけど、嬉しかった」
 リシアはまだ目の端に涙を残しながら、しかし顔をあげて大きく笑った。
「ありがとっ!ケシー」
 これがリシアなのだと、ケシーはそう思った。
「戻ろう、リシア。きっとフィービットとカーラが驚いたまんま待ってるよ」
 リシアは目の端の涙をぐしぐしとぬぐうと頷いた。
「うん、そうだね。それと、……『声』、碧さんって言うんだっけ。まだいてくれてるかな。もっと、話したい」
 リシアは幼い頃、自分が彼女を『声』と呼んでいた事を思い出した。名前は今さっき、初めて知った。
 記憶は戻ったが、その声が聞こえる訳でもそして妖精の言葉が理解できる訳でもないのだろう。

 「ただいま。二人ともごめんね」
「リシアさん、その……大丈夫ですか?」
「うん。もう平気だよ!それと『声』……あ、違った碧、さん、まだいる?」
 カーラはその問いが自分に向けられていることに気づき頷いた。
「いらっしゃいます。碧さん、何かおっしゃりたいことはありますか?……はい、伝えますよ。リシアさん、碧さんからです」
 カーラは一度区切り、碧の言葉を口にのせた。
「ごめんなさい。本当に。謝っても、許してもらえないかもしれない。ずっと、あの村に置いてきてからも不安でしょうがなくて付いていたから、どれだけ辛かったかもわかっている……つもり。本当にどう謝ればいいのか……」
「わかってない……全然わかってないよ、『声』!捨てられたとき本当に怖かった。聞いたこともない言葉でつめよられて本当に怖かった。付いてきてたからってそんな事がわかるっていうの?」
 碧は黙る。黙るしかない。
「捨てられてくなんか、なかった。……でも、ありがとう。『声』」
「リシア?」
 カーラは碧の言葉をそのまま言っただけなのだろうが、そこにはカーラ自身の驚きの声も含まれているようだった。ことの成り行きを見守っていたフィービットも驚いた顔をしている。ケシーは一人口もとに笑みを浮かべている。
「あなたが、赤ん坊の私を拾ってくれなかったら、きっと私は死んでた。あなたが村に私を置いてくれなかったら、あなたの言うとおりきっと一生誰とも関わらずに死んでた。ケシーたちにも会えなかった。それに、あなたが私を置き去りにしてしまったから私は世界を滅ぼしてしまうかもしれないことに手を貸しちゃったけど、でも、だから世界を助けようとすることができる。なんて、ちょっと受け売りなんだけど。ありがとう、『声』。あなたがいなかったら私なんにもできなかった。謝る必要なんてないよ。だって私を思ってやってくれたことなんだから」
 もしも、を重ねていったらキリがない。もしもを口にした所で現状は変わらない。起こってしまったことは起こってしまったことなのだ。もしも、を考えるなら現状を考える。もしもと後悔するような時と同じくらいいい方向にもっていこうとすればいい。もしもが本当にあったなら、きっと自分という存在は立ち行かない。結局は今を生きるしかないのだから。
 真っ直ぐ前を見て、落ち込むのも良いけれど、落ち込みっぱなしではなくて沈んだ分を取り戻すように突き進めばいい。
 リシアはなんとなく碧のいる場所がわかるような気がした。見えるわけでも聞こえる訳でもないのに感じる。
 笑った。
「ありがとう、リシア……」
 碧も笑った。

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