5.静かな夜

 碧は彼女の故郷、つまりワーイスのリシアを拾ったあたりに帰った。本人いわく、ワーイスの空気は魔の解放がまだであったために汚れていなかったから、ネアローギの空気が体に影響を及ぼしているそうだ。不安げに本当はもっと一緒にいてあげたかったと言う碧をリシアは半ば強制的に追い出すようにしてワーイスに彼女を帰した。
「だから大丈夫だったら。心配しないで。それより、お母さんの体の心配しないと!でしょ?」
「リシア……。わかったわ。それと、ケシーさん」
 唐突に指名されてケシーは思わず背筋を伸ばした。今までの流れではたしか自分が自分が個人で指名された事は無い。何をいわれるのか。思い当たるフシはいくつかあるが、あまりいい事ではないような気がする。碧がその度合いはともかくとしてずっとリシアと共にいたというならなおさらだ。
「なん……ですか?」
「最後になってしまうかもしれないから、言わせてください。ありがとうございました。今まで、リシアと仲良くしてくれて。これからもよろしくお願いしますね」
「え……あ」
 声が出ない。肯定の言葉も否定の言葉も出すことが出来ない。否定する気はさらさらないが肯定してしまってもいいのか。
 結局、ケシーの中でうやむやのまま、碧はここを去ってしまった。リシアも晴れた顔をしているのに、ケシーの心にはわだかまりが残った。
 「さあって!今から出発ー!……って言いたいとこだけど、今日はもう無理っぽいね」
 外には薄闇の帳がすでに下ろされていた。今から出発した所で、どうせすぐに野宿するハメになるのだろう。それならばここで一夜を明かしたほうが得策というものだ。
「今日はうちで休んで明日の朝、出発しましょう」
 まだ夕食には少し早い。しかしその夕食の材料が足りない、ということでリシアとカーラで買い物に出かけ、夕食の準備を始めた。もちろんというかなんというか男二人は手を出したくても出させてくれなかったし、また出したいとも思わなかったので雑談にふけるだけである。
 出来た料理は漁村というだけあって海の幸で彩られていた。海辺からは少し遠かったラッカンスに住んでいたケシーとリシアは物珍しげに平らげたが、まさに新鮮でそして少し不思議な気分だった。
 「そういえば聞こうと思ってたんだよね」
 食器も片付け終わり、机に座って何をするでもなくいた時、リシアがふと呟いた。カーラのほうへリシアは視線を向ける。カーラは小さく首をかしげた。
「ご両親は?」
 はっとカーラは表情を曇らせる。
「父は、漁師でした。二年前漁に出て……嵐に遭ったらしく死んでしまったそうです。船が沈んでしまって遺骨も無いので未だどこか実感できていませんが……。その後を追うように、元々体が丈夫でなかった母も」
 あ、と短く息を漏らしてからリシアは少し黙ったが結局口を開く。
「ごめん、悪いこと……聞いちゃったね」
 カーラはしかし首を横に振った。力なくはあるが笑みを浮かべて言う。
「いえ、村の方々もよくしてくださいましたし、妖精達も優しくしてくれましたから。寂しくないといえば、嘘になりますけど」
 暗い沈黙がおりかけたので、ケシーは話題を転換しようと考えるが、さしていい話題も見つからない。とりあえず黙りたくは無かったので、たいして話題も変わらなかったがフィービットに話を振った。
「フィービットのとこは?」
「俺か?」
 これで彼の両親も、なんていう展開になっては目も当てられないがそうではなかったようだ。フィービットも暗い雰囲気が嫌だったのか明るめの口調で言う。
「俺は両親二人とも健在さ。もっとも、俺は結構フラフラしてるから最近はあまり会ってない。きっと二人とも、跡取のクセしてどこほっつき歩いてんだ、あの放蕩息子は!……とか言ってるんだろうよ、今ごろ」
 フィービットは苦笑いを浮かべた。
「跡取って……フィービットの家、何やってんの?」
「格闘技の道場さ。そこで父親に仕込まれたんだ、格闘技は。ただ他の武術もやってみたくて放浪しているんだが……その途中でケシー、お前に会ったんだよ」
「ああ、なるほどな」
 以前、家が道場をやっていることは聞いていたがそういった経緯でウォッツのところにいたのかと今更納得する。
「で、そういうお前はどうなんだ?」
 フィービットがケシーに返した。確かにこれで言っていないのは自分だけになるのだろう。
「二人ともいるよ。まあ、ちょっと父さんは……いや、元気かな」
 その微妙な言い回しにフィービットは突っ込もうかと考えたが、リシアの表情が曇りそれを見たケシーが物いいたげな顔をしたものの結局何も言わなかったのを見て触れないほうがいいのだろうと察した。
 カーラもそれに気付いたようで椅子から立ち上がると、そろそろ寝ましょうかと話題を打ち切った。

 「俺はいいのかな」
 ふう、と深く一つケシーはため息をついたが、寄せて引くさざ波にその音はかききえた。
 湿気を含んだ生ぬるい風が髪をあおり頬をなでる。潮の匂いがする。少しだけ欠けている月が水面にばらけてたゆとう。

 ベッドは三つまでしかなかった。当たり前といえばしごく当たり前だ。一つは家主のカーラ、もう一つはレディファーストということでリシア、そしてもう一つをどちらがとるかでフィービットとじゃんけんをし、結局ケシーは負けたのだった。こういった運はあまりよろしくない。居間にあった長椅子に毛布を持ってきて簡素なベッドとしたが、寝心地がいいとはいえなかった。もちろん屋内で眠れるだけ幸せだ。だが、考え事もあってなかなか寝付けずそっと家を抜け出して浜辺までふらりとやってきた。
 そしてどかっと腰をおろして穏やかな波を見つめていながら、碧の礼の言葉が頭をずっとまわっていた。
 碧には礼を言われてしまったが、正直ケシーは自分が礼を言われるに値する人間だとは、少なくともこの件に関しては思っていない。
 あの時、碧に呼びかけられた時、心臓が跳ねた。彼女がリシアをいかに愛していたかはわかる。ここまでついてきたというのだから相当なものなのだろう。種族まで違うのに血のつながりのある母子をも越えるような何かを感じた。だから怖かった。
 リシアが村に来た時、一番辛く当たったのは自分だっただろう。途中からは惰性で、それまでの勢いで動いていたような気もする。だからわからなかった、とか知らなかったなんていう言葉だけではどうにも済ませられない。済ませたくない。
 文句を言われる身構えすらしていた。言われたって何も言い返せないに違いなかった。
 なのに、礼を言われてしまった。文句を言われるよりもある意味で辛い。
「俺は……リシアに何かしてやれたか?俺の方こそ何にもしてないじゃないか」
 砂を手で一つ握り、少し緩めて一つの筋となって流れる黄みを帯びた砂をじっと見つめる。次第に手の中が心もとなくなり、筋は途切れ途切れになって、遂に途絶えた。
 ふう、ともう一度大きくため息をつく。
 膝に顎を乗せて自分のつま先を見る。
「ダメなヤツだよな、俺って」
「ダメじゃないって」

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